【9】願うのは BACK | INDEX | NEXT

「もしもし、透?」

壁に寄り掛かってベッドに座り、緩く瞳を閉じる。
電話の向こうには透。電話をかけた人物は暁だ。
前髪をかき上げて、話を続けると、電話の向こうで透が楽しそうな笑いを漏らした。

「―――そう。それで、僕がワン切りしたら一緒に出てきてくれるか?…あぁ。これは透にかかってるからな?失敗しないように。じゃぁ」

電話を切るとパタンと携帯を閉じて、ベッドの脇に放り投げた。

「さて、あいつはどういう態度にでるのかな…」

小さく笑みを浮かべて、窓から隣の家へと視線を投げた。
住人は全て出かけているようで、夜だというのに真っ暗な家。
暁の部屋から見える窓は、二年前から明かりが灯る事はない。
そしてこれからも、あの部屋に明かりが灯る事は無いだろうと、暁は思う。






ただ願うのは、あの頃のような彼の顔。
愛しいものへ向ける優しい笑顔。









放課後の教室、まだ他の生徒もまばらに残っている。
初夏へと近づいている空は、まだまだ暗くなる様子も無い。

「ひなた。今日はピアノ弾かずに帰るんでしょう?私も用事無いから駅まで帰ろう?」

帰る準備をしていたひなたに葵が声を掛けた。

「うん。ちょっと先生に呼ばれたから今から行って来るの。ここで待ってて貰える?」

そう言うひなたに葵は頷いて、ひなたの椅子へ座った。
鞄を置いたままひなたは教室を足早に出て行った。

「今のところ、ひなたに変わったところはなし…か」

出ていく後ろ姿を見ながら小さく呟く。


気付かないまま、別の誰かを好きになればいいのだけど…


そんな事を胸中で思った。

一人、二人と教室から出ていくクラスメートを横目に、鞄の中から小説を取り出してしおりが挟んであるページを開いた。





「失礼しました」

担任との話が終わり、ひなたは教室へと向かって廊下を急いでいた。
長い廊下の向こうに、人影が見えてその足取りを緩めた。
人影が段々とはっきりしてきて、向かって歩いて来るのは海斗だと気付く。

何やら跳ねる心臓に、思わず立ち止まって海斗が近づいてくるのを見詰めた。


「あ、中之条君、今帰り?」

近くに来た時、ひなたは笑顔で海斗へ声を掛けた。
ぼんやりと考え事をしていた様子の海斗は驚いたようにひなたを見下ろした。
眉間に皺を寄せて、じっとひなたの頭を見下ろした後、何も言わずにひなたの横をすり抜けた。

「え?」

海斗の行動に驚いて、振り返る。
長身の海斗は既に遠くまで歩いていて、更に声を掛けることは出来なかった。
段々と小さくなっていく後姿に、ひなたの胸はズキズキと痛んだ。

キュっと眉に皺を寄せると、ひなたは廊下を走り出した。





「あ、ひなた。お帰り…どうしたの?」

教室に息を切らせて入ってきたひなたの表情に、怪訝そうに眉を寄せた。

「あ、あのね…さっき、廊下で中之条君に会ったんだけど…」

「え、海斗に?」

その言葉に葵はチと心の中で舌打ちをした。


まさか、廊下で海斗と会うなんて。一緒に付いていけばよかったわね…


「うん。それでね、声掛けたんだけど、素通りされちゃって…それでね、凄く心臓が痛いの…なんでかなぁ?」

ひなたの言葉に僅かに葵の口元が引きつった。
俯いていたひなたは葵の僅かな変化に気づく事は無かったが…。


海斗!余計な事を!!!これでひなたが気付いちゃったらどうしてくれるわけ?あんたはエセくさい笑顔で挨拶してりゃぁいいのよ!…って、海斗の笑顔ってのもキモイわね…。


「ひなた、それは海斗に無視されたから傷ついたのよ。誰かに無視されたら悲しいものね?」

心中とは裏腹に、やんわりとした口調でひなたを諭す。
無視されて心が痛いのは、海斗が好きなのだとは決して告げないが。


「そっか…何か機嫌が悪かったのかなぁ…」

「どうだろうね?でも、愛想の良い海斗ってのも想像がつかないけどね?さ、遅くならないうちに帰ろう?」

「うん」






二人が校門のところまで来ると、暁が立っているのが目に入った。

「あれ?暁?」

葵が声を掛けると、暁はにっこりと笑って二人へと近寄った。

「一緒に帰ろうと思って、ひなたちゃんを待っていたんだ」

「え?ひなたを??」

葵は驚いて、ひなたと暁を交互に見遣った。
見るとひなたはキョトンとしていて、どうやら暁の言葉が意外だったらしい。

「えっと、駅まで葵ちゃんと一緒でもいいのなら…」

「もちろん、それは構わないよ?」

「じゃぁ、行きましょうか?」

「あぁ…あ、海斗」

暁の言葉に後ろを振り返ると、透と海斗が歩いて来るところだった。
透は笑顔で暁のもとへと走り寄ってきた。

「おっす、どうしたの?こんな所で」

「あぁ、ひなたちゃんと帰ろうと思って待ってたんだ」

暁の言葉に僅かに海斗の表情が強張った…ように見えたのは恐らく暁だけだろう。
それには心の中で暁は小さく笑みを浮かべた。
表情にこそ出さなかったが。

「あぁ、海斗も同じ電車だろう?一緒に帰るか?」

その言葉に内心焦り出したのは葵だ。


ちょっと、何海斗まで誘ってるの?二人っきりじゃないとは言え、危険すぎるわよーー!

そんな葵の心を知ってか知らずか、海斗は表情の無い顔のまま口を開いた。


「いや、遠慮する」


そう言うと、皆の横をすり抜けて駅へと向かって歩きだした。


「あ、海斗ー!置いていくなよ!!!」

透は叫びながら海斗を追いかけた。
暁の横をすれ違った瞬間、軽くウィンクを暁に投げて。



「海斗は行っちゃったし、僕らも行こうか?」

暁の言葉に頷いて、三人で駅に向かって歩きだした。







二人と駅で別れた後、葵は家に向かいながら考えていた。



もしかして、暁君てひなたの事が好きなのかしら…。
暁君がひなたの彼氏になったら、すごく大切にしてくれそうよね…。
是非とも暁君には頑張って貰いたいわね。
さり気なくひなたに暁君を押してみようかしら…



何も知らない葵は計画第二段を考えていた。

葵が望むのはひなたの幸せ。
願わくば、彼女の笑顔がくもる事がないように。

ひなたが幸せならば相手は誰でもいいのだ。
幸せにしてくれるのなら、海斗でも構わないのだが…


海斗じゃね。


それが葵の見解であり、当分はこれが覆る事はなさそうだ。

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