【10】ひとしずく BACK | INDEX | NEXT
一雫零れ落ちた。
本人の意思とは関係なく、まるで嘲笑うかのように。
静かに、ゆっくりと心に波紋が広がった。





暁と一緒に帰ったあの日から、何度か暁と一緒に帰る日があった。
海斗は相変わらずの態度で、一緒に帰る二人の横をすり抜けて行った。
そしてひなたは、その後姿を何とも言えない気持ちで見つめるのだった。


「ねぇ、最近暁君といい感じじゃない?」

「えー、そう?」

昼休みの屋上。
ひなたと葵はいつもの様に、ひなたの作ってきたお弁当を広げ暖かい日差しの下にいた。
葵は厚焼き玉子を一口食べながら、にっこりと笑みを向けた。

「そうよ。良く一緒に帰ってるしね?暁君の高校って、うちの学校の前通らなくても駅まで行けるのよ?それなのにわざわざ迎えにきてるんだもの、ひなたに気があるとしか思えないな」

「うーん。そうかなぁ?」

葵の言葉にひなたは首を傾げた。
自分の気持ちに気付いていないひなたではあるが、全ての事に対して鈍いわけではなかった。
嫌われているわけではないが、暁の他の人に向けられる態度と、自分に対するそれとなんら変わりがないとひなたは思っていた。
単なる友達なのだと認識している。

「そうよ。きっと暁君はひなたが好きなんだと思うわ。ねぇ、ひなたはどう思ってるの?」

「そうかなぁ…どうって、ただのお友達だよ?」

「ほんと、ひなたは鈍いわねぇ。暁君ならお薦めよ?優しいし、頼りになるし。どう?暁君とつきあっっちゃえば?」

「付き合うって、恋人になるって事だよね?」

「それ以外の何があるのよ」

流石に葵もその言葉には呆れたように、大きく息を吐き出した。

「うーん…付き合うってイマイチ分らないなぁ…暁君は確かに優しいと思うけど…ねぇ、恋人になるのと友達でいるのとの境界線て何?」

「その人のことが好きで一緒に居たいって思うかどうかじゃないの?」

僅かに考えた後、そう葵は言った。
お弁当の中身はすっかり空になって、蓋を閉めてナプキンで綺麗に包んだ。

「その好きって友達の好きとか家族が好きとかと何が違うの?恋ってどんなの?」

「そうねぇ…その人の言動で一喜一憂したりとか、ふとした瞬間に思い浮かべたりとか、一緒に居るとドキドキしたりとか…寂しかったり悲しかったりした時に傍に居て欲しいとか。そう言う事じゃないかしら」

「…ドキドキ?」

「そ、ドキドキ…ぁ、今日部活の集まりがあるんだった。ゴメンひなた。先に行ってるね?」

「うん」

葵は慌てて立ち上がると屋上から校内へと入っていった。
ひなたはそれを見送った後、入口の裏側へと周りコンクリートの壁に寄り掛かって座り込んだ。

「…ドキドキ…思い浮かべる…一喜一憂…かぁ…」

小さく呟きながらそっと瞳を閉じる。


(私の好きな人って誰なんだろう…まだ、そう言う人って居ないのかなぁ…)


心の中でそう呟いた時、一瞬ひなたの脳裏に男の姿が浮かんだ。だが、ひなたが認識しないうちにそれは消えて、気づく事は無かった。


「でも、暁君じゃないな」


(一緒に居て楽しいけど、ドキドキしないもん)


どうやら葵は気付いていないが、ひなたにとって重要な事を言ったようだ。
暁をプッシュしようとしている葵にとってとても不利になるような言葉だった。
暁はただの友達だと、ひなたは再認識したのだった。




「何が暁じゃないって?」

声を掛けられて目を開けると、太陽を背にして透が立っていた。

「あ、透君…ううん。何でもないよ。どうして此処に?」

隣へと腰を下ろした透に顔を向けて、ひなたは小首を傾げた。

「この上の貯水タンクのとこが俺の特等席なの。誰にも見つからないし、昼寝には最適なんだよね」

クイクイと人差し指で上を指して、透はニっと笑みを向けた。

「そっかぁ。これからお昼寝?邪魔しちゃ悪いから教室戻るね」

「ん?気を使わなくてもいいよ。あぁ、そうだ。今日スタジオで練習があるから遊びに来てよ。多分、暁が迎えに来ると思うから」

「うん、分ったー。楽しみにしてるね?」

ニコっと笑みを浮かべて透に手を振ると、ひなたは歩き出した。
グルリとコンクリートの壁に沿って扉へと周り、校舎へと入っていった。



「実は、全部会話聞いてたりしてね」

ひなたが居なくなった後、透はそう呟いた。
実のところ、ひなたと葵が屋上に来る前から、扉上の貯水タンクのところで昼寝をしていたのだった。


(さっきの会話とひなたちゃんの言葉から連想するに…暁は恋愛対象じゃないって事だよね……暁の作戦もいいけどさぁ…万が一ひなたちゃんが暁を好きになるって事考えてないよね。ま、実際はそうなってないから良いけどね。ホント、暁は海斗の事しか考えてないんだからなぁ…)


そんな事を透は思って、吹き抜ける心地よい風に誘われるように、ゆっくりと瞳を閉じた。







放課後、透の言っていた通りに迎えに来た暁と一緒にスタジオへとやってきた。
既にスタジオには暁以外のメンバーが揃っていて、葵の姿も見えた。
恐らく、迎えに来た暁と二人っきりにしようと葵はさっさと透と一緒に来たのだろう。

スタジオに入った途端、一瞬だけ海斗と目が合ってひなたの心臓はドキンと小さく跳ねた。

(ん?…今、ドキってした?)

ひなたは胸元を抑えて首を傾げた。
促されてパイプ椅子に座ると、音合わせを始めた皆を黙って見つめた。

皆を見渡した後、ひなたの視線は無意識に海斗へと注がれた。
表情も無く歌う姿にひなたの胸は何故だか切なくなるのだった。


(そういえば…海斗君をこうやってじっくり見るの、久し振りかも…)


ひなたはホボ毎日放課後には音楽室へと通っているのだが、廊下ですれ違ったきり海斗が音楽室へと姿を現す事がなかった。
教室も離れている分、偶然会うと言う事も無かった。


休憩時間になると、暁はひなたの元へと来た。

龍次にタオルとスポーツドリンクを渡していた葵は、その光景に『行けぇ!暁君、押して押しまくれぇ!!』などと心の中でゲキを飛ばしていた。

「ねぇ、ひなたちゃん。今度の休み、二人で遊びに行かない?」

「え?あ、はい。良いですよ?」

戸惑いながらも頷くひなたににっこりと暁は笑みを向けて、更に興味なさそうな顔で別の方向を見ていた海斗へと視線を向けた。
視線に気付いた海斗と目が合うと、ニヤリと笑みを浮かべた。
その表情に、海斗は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
海斗の反応に暁は内心笑みを浮かべて、更にひなたの手を取った。

「嬉しいよ、ひなたちゃん。僕達の初デートだね?」

「えぇっ?!デートなんですか????」

『デート』という言葉に驚いたひなたは目を白黒させる。
その様子に暁はクスクスと笑いながら頷いた。

「そりゃそうだろう?男と女が二人で遊びに行くんだから、デートって表してもいいと思うよ」

「ぁー、なるほどぉ…」

暁の柔らかい物腰に、妙に納得させられてしまったひなたは曖昧に頷いた。


楽しそうな様子を遠くから見守っていた葵は『ヨシッ!』と心の中でガッツポーズ。
そんな葵の視界の端で、動く物体を捉えた。


無表情なまま、海斗は二人の傍へと近寄った。

「ん?中之条君、どうしたの?」

海斗に気付いたひなたが笑顔で声を掛けた。

「えっ?!な、中之条君っ???」

海斗は無言でひなたの手首を掴むと、驚くひなたを余所にスタスタと歩き出した。

「えっ、ちょっ海斗ーーー!!!ひなたを何処に連れて行く気よ?!」

慌てて二人の所へと駆け寄ろうとした葵の身体を、後ろから透が羽交い絞めにした。

「ちょっと透!!何やってんのよ。離しなさいっ。ひなたが海斗にさらわれてるじゃないの!!」

「まぁ、まぁ。別にいいっしょ?幾ら海斗だって、その気のないひなたちゃんを襲ったりなんてしないからさ」

「いいえっ信用なんて出来ない!それに、心配なのはそこだけじゃなくてっ!ええい。離さんか!!それに暁君も、二人を追いかけないわけ?!」

ジタバタと暴れる葵に、とうとう透は手を離した。
幾ら相手が女性だとは言え、暴れているのを押さえるのは容易ではない。

「ん?追いかけないよ。どうして?」

「どうしてって…ひなたっ!」

身体が自由になり、暁の問いかけを中途半端に放り出して慌てて外へと飛び出した。
道に出て辺りを見渡すが、既に二人の姿は見えなくなっていて、葵はスタジオへと再び戻った。

「暁君はひなたが好きなんじゃないの?どうして、海斗にさらわれて黙っているのよ?」
スタジオに戻るなり暁に詰め寄った。
物凄い形相に暁は苦笑いして数歩後退しながらも、言葉を紡いだ。

「ひなたちゃんの事好きだけど、それは友達としてであって、恋人になりたいとかそう言う気持ちはないよ」

「じゃぁ、何で…」

「…ひなたちゃんなら、海斗の心を救ってくれるかなぁって思ったんだよね」

そう言って、暁は悲しそうな笑みを浮かべた。
その表情に葵は戸惑う。

「それってどういう…」

「まぁ、色々話はあると思うが、これ以上ここに居ても仕方ないしとりあえずどっかに移動するか」

今までの状況を見守っていた龍次が二人の間に割って入り、葵の頭を撫でた。

「だって、龍―――」

「葵の気持ちも分かるけどな。大事なのは、当人達の気持ちだろう?」

やんわりと龍に諭されて、葵は泣きそうな表情になり顔を歪めた。










「ねぇっ中之条君、何処に行くの?!」

無言で腕を引張る海斗に、先ほどからずっとこの言葉を言っているが答えてくれる様子もなくただただ前へと歩いていく。
力強く握られて、ひなたも引きずられるようにして歩いていた。
ただでさえコンパスが違うのだ。早歩きで進まれては、ひなたは若干小走りにならないと転んでしまいそうだった。


スタジオから数分歩いたところで、海斗はマンションへと入っていった。
エレベーターに乗っても海斗は無言のまま、ひなたの手首を掴んでいた。
マンションの5階に着いたところでエレベーターを降り、一つの扉の前で止まった。
海斗は鍵を取り出すと穴にさし込んだ。

「もしかして、中之条君の家?」

抵抗する事無く開いた鍵に、ひなたは海斗を見上げた。
それでも海斗は無言のまま中へと入った。


中へ入ると、綺麗にされた部屋が目に飛び込んできた。
綺麗と言うよりは、物がない。
生活の暖かさを感じさせない部屋の中に、ひなたは小さく身震いをした。
間取りは1DK。家族で住めるような広さではない。

「…一人暮らしなの?ご両親は?」

思わず口にした言葉に、海斗は冷たい目でひなたを見下ろした。

「親?実家に住んでるんじゃないか?」


(じゃないか…って、親なのに…?)


「じゃぁ、一人暮らしなんだね…何か、寂しいね」

何気なく口にした言葉だか、海斗は僅かに驚いたような顔をしてひなたを見下ろした。

「…寂しい?」

「だって、幾ら高校生だからって、一人で暮らすのは寂しいと思うなぁ…」

もっと生活感があれば別だが、こんなにも生活感のない部屋は夜に一人で居るのは寂しいのではないだろうか。
そんな事を思いながら、部屋を見渡した。

「……お前のところは、幸せな家だな」

頭上に降ってきた言葉に驚いて、ひなたは海斗を見上げた。

「!…中之条君、泣いて…」

見ると、海斗の瞳から、一雫だけ涙が零れ落ちた。
海斗はそれに気付いていないのか、眉間に皺を寄せて頬に手を当てた。

「ッ…帰れ」

「えっ?!」

「いいから、帰れよ!」

ひなたは海斗に背を押されて、玄関へと押しやられた。
自分で連れて来たくせに、入って数分で帰れとはなんとも勝手な話である。

「中之条く…」

慌てて靴を履くと、扉の外へと押され、振り返ったその先で玄関の扉が閉められてしまった。

息を吐いて、俯くとトボトボと歩き出した。



扉に凭れて居た海斗は、足音が聞こえなくなると携帯を取り出した。


「透か。アイツ、一人で帰ったから、迎えに行ってやってくれ」

『えっ?!帰ったって。海斗の家から?まだ着いたばっかじゃないの?』

「いいから、つべこべ言わずに行けよ」

まだ電話口で何か言っている透を無視して電話を切り、ついでに電源も落とした。





「…何か、悪いこと言っちゃったのかなぁ…」

重い足取りで歩きながら呟いた。
イキナリ帰れと言った海斗を思い出して、ズキンと胸が痛んだ。

「嫌われちゃったのかな…」

そう言った途端、瞳から涙が零れ落ちた。
溢れる涙を拭いながら、今だ痛む胸を押さえた。

「何で、涙が出るの?何で、胸が痛いの…?」


『そうねぇ…その人の言動で一喜一憂したりとか、ふとした瞬間に思い浮かべたりとか、一緒に居るとドキドキしたりとか…寂しかったり悲しかったりした時に傍に居て欲しいとか。そう言う事じゃないかしら』


不意に葵の言葉が思い出された。
ひなたは、ハッとなって足を止めた。

「…もしかして、私…?」

そう呟いた時、肩を叩かれて振り返った。
そこには、透が立っていて、その後ろには暁・龍次・葵が居た。

「透君、皆さん…」

「海斗に何されたの?」

心配そうな葵に、ひなたは首を振った。

「違うの。何もされてない。もしかしたら、私の方が傷つけちゃったのかもしれない…葵ちゃん、私――――――」

ひなたは葵に駆け寄って、抱きついた。
涙を流して、その胸へと顔を埋めた。
葵はひなたを促して龍次の車に乗せると、龍次のマンションへと向かった。

そしてそこでひなたは、海斗の家での出来事と、気付いた自分の気持ちを打ち明けたのだった。












海斗はソファに凭れ、既に乾いている頬を撫でた。
たった一雫ではあるが零れた涙は、海斗の心を強く揺さぶった。
頑なに心を閉ざしている海斗を嘲笑うかのように。
海斗の氷の心が溶けた一滴であったのだろうか。




――海斗って一人暮らしなのぉ?やりたい放題じゃん!キャハハ

――あら。一人暮らしなの?悪さしないようにね?


そんな言葉が海斗の頭の中をリフレインする。
今まで海斗が一人暮らしだと知った時の女性の反応は大抵そんなものだった。



―― 一人暮らしなんだね…何か、寂しいね


そして最後に、ひなたの言葉が思い浮かび、グっと強く拳を握った。

その言葉を振り払うかのように、何度も頭を振る。

「…クソッ」

悪態をついて、膝を叩いた。
強く握りすぎた掌は、爪で傷つき僅かに血が滲んでいた。

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