白衣+眼鏡=天使?悪魔 2


夕闇の教室に響き渡るのは、最終下校時刻を告げるチャイムの音。
まるで亡霊のように校内をふらふら歩いていたあかねの目に映ったのは、
窓から見える夕日。赤く染まった太陽が、ゆっくりと地平線に沈んでいくところだった。

いつも勉強している教室。
しかし、いる時間はそんなに長くないから、自分の教室、という気持ちはさらさらない。
窓辺に立って、夕日に手のひらを合わせるように置く。
隠れる夕日。

そして、夕日に重なって見えるのは、彼の燃え滾るような瞳だった。

「……」

彼と初めて会ったときの印象は、獲物を狙うライオンのような目。
笑顔が天使で相手に癒しを与えている反面、瞳はなにがに怯えるようにぎらついていた。

…もしかしたら、そこに惹かれたのかもしれない。

気付けばこんな関係になっていた。
恋人同士でもなければ、生徒と保健医という関係でもない。
ただ、体を重ね合う男と女。
まさに野性的だと思う。
いつからこんな関係になったのか忘れたけれど、彼に抱かれるのは嫌じゃなかった。
男を知らない生娘じゃないし、とうに穢れた存在だ。
この期に及んで愛のあるセックスに夢を馳せるような人間じゃない。

でも、彼があかねを抱くときに見せる「優しい顔」を見ると、胸がほんわり温かくなる。
同じ年頃の子が大好きな彼に抱かれるときの切ない気持ちと似ている。
そっと自分の心臓に手を当ててみる。

とくん…、とくん…。

と、脈打つ鼓動の音は正常に機能しているのに、締め付けられるように痛い。
昼休みの保健室で、彼が女生徒に絡まれてるところをみてからだ。
それからずっと痛い。


―――まるで、彼が好きだと叫んでるように。


割り切った関係だ、と反対に笑って彼の行為を快く受けていた自分にとって、
こんな感情は信じられなかった。
信じられなかったけれど、彼の瞳を見たり、彼に触れられて、やっぱり改めて感じる。

「…すき…」

だと。
ぽつりと口に出した単語を確かめるように唇をなぞってみた。
遼平の唇を思い出す。柔らかくて甘い彼の唇。


「……っ!!」


思考回路は真っ白。
ナニを考えて足が動いたのか解らない。
ただ、気付けば足が動いていて、全速力で走っていて、相乗効果で腕も振っていて。




―――――向かった先は、保健室だった。




――ガラッ…!!

保健室の引き戸を引く。
デスクに灯ったデスクライトの光が、まだそこに彼の存在を照らしてくれる唯一の存在だった。

「……せん、せ…」

ちらり、眼鏡の奥から、ドア付近にいるあかねを確認して持っていたペンを置いた。
それからイスを回転させ、真正面からあかねを見る。
遼平の向こう、保健室の窓の外にあった夕陽はとうに消えうせ、
ほんのり空を色づけるぐらいの赤みがかった空だけが見えた。


「―――遅かったですね。仲西さん」


にっこり、天使のような微笑を見せながら言った。

「……ごめん、な、さい…」
「ずーっと、待ってたんですけど」
「…はい」

はぁはぁ、と息を切らしたあかねを一瞥すると、
遼平はさも興味が失せたように再びデスクに向かった。

「………で?話をしに来たんですか?それとも、昼間の続きですか?」

感情の篭もってない会話。
一言一言が心臓に突き刺さって、鷲掴みされた心臓に爪が食い込んだ。

「…あ、の…――――」

言葉を次ごうとしたそのときだった。
閉められたカーテンから、乱れた様子の君原が出てきた。

「せんせー…」

あかねとは違った別の甘い声で、遼平が体をそちらに向ける。

「おや、起きましたか?」
「ん。…たくさん寝た…」
「それは良かった。あなたは寝不足ですから、すぐに帰りなさい」

にっこり、笑顔を向けてそばに置いてあった君原の鞄を、
眠気眼でぼーっとしている彼女に歩み寄り、手渡した。
しっかりと遼平から受け取った君原は、こっくり頷いて、
あかねにぺこりと一礼してから去っていく。
昼間の様子とは打って変わってしおらしい彼女を、不思議に思った。
すれ違いざまに見た彼女の顔は腫れていて、特に瞳がぷっくり腫れていた。

ここで、なにかあったと疑わずにはいられない。

「―――それで?仲西さんは、いつまでそこに突っ立ってるつもりですか?
用がないなら、私はもう帰りますけど」

まったくもって興味がない表情は崩さず、遼平は立ち上がって帰りの支度を始めた。

「……お、怒ってるんの…?」
「私がなにを怒るんですか」
「…昼間、途中までだった、し…」
「サル並に性欲があるわけでもなし、別に私は大丈夫ですよ」
「でも…」
「それに、あなたが駄目でも他に私の欲求を満たしてくれる方いますし」

喉が鳴った。
飄々と、人の心を締め付けるような一言を言ってのける。
優しい笑顔の下に隠れてる冷たい彼。いや、本当は冷たいのかもしれない。
笑顔で覆ったマスクの下には、女に対して容赦ない「男の顔」を感じる。

「……やだ」

何かが、切れたかもしれない。
今までの自分を嫌でも受け止めなくちゃならない時が来た。

「なにが?」

相変わらず冷めた返事を返す遼平。
デスクと自分が立ってる距離まで5メートル。この距離がもどかしくて、
余計に彼との距離を感じさせる「壁」だと感じた。
すたすたすたすた、歩み寄って遼平がこっちを向く。
その隙を狙って、―――――――痛恨の一発。


「…つっ…!」


衝撃で眼鏡が吹っ飛んだ。
綺麗な顔が驚きの顔に歪む。
それ以上に、あかねの視界は涙でいっぱいだった。

「……あ、のなぁ…」

呆れたように言葉を発するのは遼平。
ぽろぽろと涙を流すのは、あかね。
二人の距離は、50センチ。

「…んだよ、…な、なんか、文句でもあるの…?」
「普通殴るか…?」
「殴りたかったから、殴ったん、だよ…。な、なんならもう一発殴らせろ…」
「涙声でドス効かせたって、全然怖くねーよ」
「るせ…」
「…珍しいな。泣いてるって、自分で認めるんだ」
「……」
「前は認めなかったくせに」
「……」
「どんな心境の変化なわけ」
「………駄目?」
「なにが」

呆れたように言葉を発しつつも、遼平はしっかりとあかねの瞳を見つめる。
見つめられると体の中心からないと思ってた「恋心」が、疼く。

「…………す、素直になったら…」

正直な気持ちを述べたまでだ。
今まではずっと、自分の気持ちを偽って彼と接してきた。
合言葉は「本気になるのが怖いから」、それが自分と交わした「恋愛ご法度要項」の、
最重要項目だったのだ。
それが、この男に出会ったことで崩されるとは思ってもみなかった。

「…はぁ?」

自分を本気にさせた男は、目の前で間の抜けたような声をあげる。

「…悪いの…?」
「……悪いも何も……」

口元抑えて、そっぽを向く。

「なによ…」
「……別に」
「だったら、ちゃんとこっち見ててよっ!!」

ぐいっと顔をこちらに近づける。
彼との距離は0に近かった。

「―――やなの。……遼平が他の人に触れるのも、誰かを見るのも。
遼平は私のなの。私のじゃなきゃ嫌なのっ!」

叫ぶように放たれたのは自分の気持ち。
ずっと隠し持っていた自分の、本当の気持ち。
これだけは、拗ねた自分の麻薬に犯されてない、純粋な気持ちだった。

きっと初めて抱き合ったときから、遼平のことが好きで。
何度も何度も抱かれていくうちに、頭の中でストップがかかってきて。
遼平に触れなきゃ、気持ちが騒がしくて、彼を求めて。

そうしていくうちに、募っていった好きの気持ち。
天使か悪魔か知らないけど、どうしてもあかねは目の前にいるこの男を欲しかった。

「……へー。そう」

それなのに、この男は平然と普通に答える。
自分が素直になって吐き出した気持ちを、さらりと流した。

「―――だから?俺にどうしてもらいたいわけ」

にやり、口角を上げた遼平の顔。
いつもの意地悪な笑顔に惹かれるように、あかねは遼平の手を掴み、
その大きな手を自分の頬に当てた。

「…名前、あかねって呼んでよ…」
「俺は、好きな女の名前じゃなきゃ呼ばないって、知ってるだろ」



「知ってる。…だから、呼んでもらいたいの」
「嫌だ、と答えたら?」
「……遼平が他の名前を呼べないように、その口塞ぐ」
「へー。オマエにそんなことできるわけ」
「お裁縫得意だから」
「…どういう意味だ、ソレ」
「こういう意味…―――」

相変わらず触れさせてる彼の手を、そっと下にずらしていって自分の豊かな胸に置いた。
力が入ってなかった遼平の手に力が篭もった。そのまま顔を上げて、
つま先立てば目の前には、綺麗に整った顔。
いつも自分の唇を濡らす、くちびる。



―――触れた。



片手で自分の胸を触るように彼の手を留め、唇は彼の唇を縫い止め、
瞳は動揺の色すら見せない彼の茶色い瞳を捕らえる。
一瞬で触れ合った唇を離して、きっちり止めたネクタイを乱すように引っ掴みもう一度唇を交わす。
荒々しく唇を触れさせ、自分の手を動かして、胸を揉ませた。

もう一度キスがくると思わなかった遼平は、一瞬驚いたように荒々しく塞がれた唇を受け止める。

「………キス、下手だなぁ、オマエ」

喉を鳴らすように笑った遼平の顔はどう見たって面白いおもちゃを見つけた顔。

「ひど…―――ぅんっ!」

せっかくの自分の勇気をそのまま笑われたような気がして、
抗議の声をあげたあかねは、快感に襲われた。
唐突に訪れた快感に声をあげると、遼平の手が自分の力に逆らって
自身で動いているのが見えた。強弱をつけてあかねの胸を揉みしだく。

「―――そんなに抱いてもらいかったんだ」

抱きしめるように空いた片方の手を腰にまわし、あかねの耳元で囁く。
軽く息を吹きかけてやると、びくびくと反応を返すあかねの体。
ここまで敏感にしたつもりはなくても、度重なる遼平からの愛撫で
充分別の男を喜ばせるぐらいに、彼女の体に自分の体を仕込んだのも、遼平自身だった。