口付けの呪文 あの時感じた違和感はこれだったのかと今更ながらに理解する。 「血の・・・呪いか・・・あの女も舐めた真似、してくれるっ」 ヴラドは低く唸ると、リンネの手首を強く握る。 「ヴラドさん・・・手、痛いです・・・」 下を向いたまま、小さくリンネが呟く。 「ん?あぁ、悪い」 それは条件反射に近かった。 「ヴラドさん、ありがとうございます」 トンと胸を突いてヴラドから離れる。 「幾らなんでも、間抜けじゃないですか?」 「まぁ、俺もそう思う」 言いながら肩を竦める。 「随分と余裕なんですね?私の事、殺せる筈がないのに」 クスクスと笑みを零すその姿は、無邪気な子供のようだ。 「確かに、俺はお前を殺せないな」 「だったら大人しく・・・死んでくださいっ」 一瞬で手のひらに氷の刃が作成される。 「だからって、やすやすとやられる訳にはいかねーんだよっ」 ひょいっとリンネの攻撃をいとも簡単に避けてしまう。 「っ・・・これなら、どうですかっ?!」 手のひらから炎の玉がヴラドへと放たれる。 「そんな・・・」 「魔術、大分上達したじゃねぇか」 口端上げて笑みを作る。 「俺はリンネを殺せない。リンネも、俺を殺すことは出来ない。このまま行っても平行線を辿るだけだぜ?」 「はぁ・・・はぁ・・・なん、で・・・」 「血の呪いは、万能じゃねぇからな・・・って、今のリンネに言っても無駄か」 血の呪い ―チノマジナイ― それは、赤葡萄で出来た飲み物、出来ればワインと血を混ぜたものを相手に飲ませると、意のままに操る事が出来る魔術だ。 まず、操れる相手は術者よりも実力の低い者のみ。 次に、術にかかった者の能力が上がるというわけではない。 また、術者が魔力を失うか、死亡した場合は当然ながら術は解けてしまうのだった。
「どうしても、死んでくださらないと言う事ですね?」 「はっきり言うならそうだ」 「そうですか・・・」 リンネは静かに瞳を閉じた。 「それでは、これなら・・・どうですか?」 うっすらと笑みを浮かべ、持っていた氷の刃を自分の首へと当てた。 「ヴラドさんが死んでくれないなら、私が死にます」 「・・・それは、リズの命令か?」 「えぇ、マスターがいざとなったらこうしなさいと」 「まぁ、そうだろうな・・・あの、クソアマ・・・」 心底嫌そうに呟く。 こうやってリンネと話しては居るが、リンネにたいした思考能力は現在ない。 力の入った手に、リンネの首筋から一筋血が垂れ落ちる。 「キャッ」 反動で手から刃が零れ落ち、ベッドに落ちて消えた。 リンネの上に乗ると、両手を押さえた。 「リズの奴をどうにかする前に、まずはリンネをどうにかしねぇとなぁ?」 リンネの紅い瞳を覗き込む。 「私を始末するつもりですか?」 「まさか。お前もさっき、俺にはそれが出来ない、と言っていたろ?」 「それも、そうですね。では、どうするつもりですか?」 ヴラドは無言で、暫し二人は視線を交わす。 「そうだな・・・とりあえず、キスでもするか?」 「この状態でそんな冗談を・・・」 「冗談だと思うか?」 ヴラドはゆっくりと顔を寄せていく。 まさに二人の唇が付こうかという瞬間。
――――コンコン
静かだった部屋の均衡を破るノック音。 ヴラドはゆっくりと顔を上る。 「誰だ?」 「ヴラド様、お知らせがあって参りました」 声の主はジルだ。 「お前か。入れ」 声にジルが部屋に入ると、飛び込んできたのは二人の姿。 「・・・お取り込み中、でしたか」 そう言って出て行こうとするジルを引き止める。 「ジル、お前補助系の魔術が得意だったな?」 突然の問いかけに、ジルは戸惑いながらも頷く。 「相手を眠らせる術は?」 「えぇ、得意ですが・・・それが?」 「悪いが、リンネを眠らせてくれ」 「ええっ?リンネ様をですか?」 「そうだ。ちょっとこっちに来い」 入り口に立ったままのジルを呼び寄せると、顎でリンネの方を指す。 瞬時に理解したジルは、リンネの額に手をかざした。 「得意なんですけど、有効範囲が一メートル以内ってところがいまいち使い道が無いんですよねぇ」 そんな事を言いながら手に魔力を集中させる。 「これで明日の朝まで起きませんよ・・・それにしても、これって血の呪いですよね」 「あぁ。リズの奴、舐めた真似を・・・あぁそうだ。確か地下に最高級のワインあったよな?」 「確かあったはずです・・・持ってきます」 バタバタと音を立てて部屋から出て行くジルを見遣った後、リンネへと視線を戻す。 「色々と・・・教えてやらねぇとな・・・魔界のことも、魔術の事も・・・」 はぁ、と息を吐き出した。 程なくしてジルが部屋へと戻ってくる。 グラスに入ったワインを受け取ると、そこに自分の血を数滴垂らす。 「・・・今日あった事は忘れろ」 そう言って、リンネの頭をひと撫でするとベッドから離れた。 操られている状態の時の出来事は覚えている事はまずない。 「それで?知らせっつーのは?」 ドサリとソファへ身体を沈めながら、ジルへ顔を向ける。 「あぁ、そうでした。アスヴェルさんがもうすぐ戻ってくるそうです」 「もうすぐってどれくらいだよ?大分前からもうすぐって言われてたよな?」 「どうやら、アスヴェルさんがこちらと連絡が取り合えるくらいに向こうでの契約が切れ掛かっているようで、恐らくヴラドさんの就任式あたりに戻ってくるのではないかと」 「そう、か」 ジルの言葉を聞き、ふーっと息を吐き出して瞳を閉じる。 「それで・・・リズさんは、どうなさるおつもりですか?」 「この手で消してやりたいのは山々だがな・・・この対処はアスヴェルに任せる」 「アスヴェルさんに、ですか?」 「あぁ。その方が、リズにとっても痛手だろうしな」 「でも、アスヴェルさんが恋人のリズさんに何かするでしょうか?」 「さぁな。その時はその時で俺が行動を移すまでだ」 「そうですか・・・それでは私はこれで」 ジルは一礼すると部屋から出て行く。 ヴラドはきつく拳を握り締めた。
血の呪いを解くにはもう一つ。 当然ならがヴラドは命令を行わなかった。 |