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教師として学園に来てから1ヶ月が過ぎようとしていた。 京介は、用のない限りは職員室へは行かず、その殆どを与えられた準備室と保健室で過ごしていた。 二時限、三時限と受け持ちの授業のない京介は、次の授業の準備を終えて教室に近い保健室へと来ていた。 「何見てんだ?」 保健室に来ているからと言って、直哉の仕事の邪魔をする気はない。 大して会話をするでもなく、窓から校庭を眺めていると、机で書類を書いていた直哉が声を掛けてきた。 「ん?あぁ、うちのクラスが体育やってるから眺めてた」 何かあったときのために保健室は校庭に面した位置に窓があった。 出入り出来る扉もあり、怪我があったときはここから中へと入れるようになっていた。 外では体育の授業が行われており、男女混合でソフトボールをやっているところだった。 「体育なんて見てても面白くないだろ?どうせうちの体操着はハーフパンツだ」 直哉の言葉に思わずクッと喉の奥を鳴らす。 「考えがおっさんだな。そのうちセクハラ教師とかで訴えられるぞ?」 「女子高生には興味がないんでご心配なく」 「その女子高生に手を出したのはどこのどなたでしたっけ?…まぁ、今となっては『元』だけどな」 「さぁ?俺には何の事だかさっぱり」 わざとらしく両手を上げて肩を竦める直哉へ口はしを上げるように笑みを向けると、校庭へと視線を戻した。 「そろそろ赴任して一ヶ月経つけどどうよ?二足の草鞋は」 「3年の担任とは言え、うちの学校で大学行く奴は殆どエスカレーターだからな。思ってたよりは何とかなってるな。一つ不満があるとすれば、若干寝不足ってところか…あ」 「ん?どうした?」 「いや、クラス委員の奴が何もないところでこけた」 京介の言葉に直哉が校庭を見ると、一人の女子生徒が服を叩きながら起き上がるところだった。 「何も無いったって小石か何かに躓いたんじゃないのか?こっちに向かってこないって事は、怪我してないって事かな…それにしても、よくこの距離で人の判別がつくな。俺ですらぼやけてるんだから、お前なんて尚更じゃないのか?」 「あー、何となく」 「へぇ…何となく、ね」 含みのあるような言い方に、振り返って直哉を見遣る。 「なんだよ」 「いいや、何でも?」 「あっそう…ちょっとベッド借りるぞ。4限が始まる前に起こしてくれ」 ニヤニヤと笑いながらヒラヒラと手を振る直哉に一瞥をくれると、一番奥のベッドへと向かった。 ベッドを私物化し、睡眠不足を補っている京介であった。 その日の放課後。 「今日、夜の仕事が終わったら飲みに行こうぜ」 「今日?明日も昼から仕事だって知ってるだろ?」 「もちろん、知ってるけどな。いつものメンバーが集まるらしいぞ。全員揃うの久しぶりだし、お前も来いよ」 「全員?へぇ…珍しいな。あー…どうすっかな」 首筋を掻いて、白衣のポケットから煙草を取り出すと、その先端に火をつける。 構内で喫煙が許されている場所は職員室の一角と準備室だけだ。 直哉も保健室で吸うわけにはいかず、煙草を吸うためにここへ来ていた。 火をつけた京介につられるように、直哉も煙草へ火をつけた。 「いいじゃないか。明日土曜だし」 換気の為に僅かに窓を開けながら、直哉は悪びれずにそう言う。 「あのなぁ。土曜日で休みなのはお前らだけ。俺は昼から仕事だってさっきから言ってるだろ?…ちょい考えさせてくれ」 トン、と灰皿に煙草の灰を落とす。 眉間に皺を寄せながら、取り出した手帳のスケジュールを見る。 ――――コンコン 不意に扉が叩かれ、一瞬京介と直哉はお互いに見遣った。 最近放課後に決まって現れる生徒が一人居た。 きっとこの音の主もそうだろうと、煙草を灰皿で揉み消し眼鏡を掛けた。 眼鏡を掛けた京介に、直哉も煙草の火を消して扉へと視線を向ける。 「どうぞ?」 そう声を掛けると、廊下から顔を出したのは思っていたとおりの人物、かなえだった。 かなえは廊下から入ってこようとせず、一緒に居た直哉に驚いているのか京介と直哉の顔を交互に見ている。 なんつーか…考えてることが分かりやすい奴だな…どうして直哉がここに?って表情してるわ そんな事を思いながら、入り口に立ったままのかなえへと声を掛ける。 「あぁ、篠崎さん。質問ですか?」 「あ、はい」 「お、京介の生徒か?ちゃんと先生やってんだなぁ」 「ちゃんととは何ですか?失礼ですね」 「ははっ悪い悪い。じゃぁ、保健室に戻るわ。またな」 突然教師モードの口調へと早変わりした京介を可笑しそうに見遣った後、ヒラっと手を振りながら準備室から出て行った。 「篠崎さん?そこに立ってないで、入ってきたらどうですか?」 未だに動こうとしないかなへを中へと促す。 近くの開いている椅子に座ったかなえは、鞄から教科書等を取り出しながら口を開いた。 「葛岡先生、遠山先生と知り合いなんですか?」 その言葉に京介は一瞬のうちに思考を巡らせる。 別に、教師と保険医が一緒に居ても何の問題もないと思うがなぁ…同僚な訳だし。 俺らの会話でも外から聞こえたか? まぁ、別に知られて困るわけじゃないし、ごまかす必要もないか… 「えぇ。高校時代からの友人なんですよ」 「えぇっ?!そうなんですか??」 明らかに『驚いています』と言った表情に、思わずクっと笑いが漏れそうになる。 手を当てて笑みを形どっている口元を隠した。 いや、なんつーか。裏表がなさそうっつーか、隠し事が出来ないタイプっつーか。 こういうのを弄って反応を見るってのが楽しいんだよなぁ… 弄ってみたいという苛めっ子気質がムクムクと頭を出し始めるが、それには気づかない振りをして話題を変えた。 「それはそうと。今日は何処が分からないんですか?」 「あっ、はい。今日は古典なんですけど…いいですか?」 「えぇ。構いませんよ…でも、古典の先生に聞いた方が良いんじゃないですか?」 「あー。古典の先生、苦手なんですよ」 古典の先生が苦手だぁ?あの温厚な先生が苦手だったら、どんな先生ならいいっつーんだよ? そんな事を考えているなんておくびにも出さず、ゆっくりと頷いた。 「そうですか。私でよければ古典もお答えしますよ」 「有難うございます。えっと、ここの一文なんですけど…どうしてもしっくり来る訳し方が出来ないんです」 指された一文と訳を見て、僅かに考えた後、その文の訳し方を説明していく。 「そうですね…ここの単語を別の意味で訳しているからおかしな訳になっているんです。この場合は…」 それにしても、古典か…俺もあんまり古典は得意じゃないんだよな…次は漢詩とか言われたら即答できるか謎だな… 「なるほど…こう訳せば良かったんですね。有難うございました」 説明が終わると、かなえはペコリと小さく頭を下げて鞄へと仕舞い始めた。 「いえ。どう致しまして。また分からない事があったら聞きに来てくださいね」 「はい」 「それにしても、篠崎さんは勉強熱心ですね。国語、好きなんですか?」 何気なく聞いてみた質問。毎日質問に来ているのだ。国語が好きか、苦手で克服したいと思っているのどちらかだろう。ただ単純にそう思っただけの事。 「はい。国語も好きなんですけど、先生が好きなんです」 …は? 唐突な言葉に、言葉にこそださなかったが流石の京介も目が点になる。 思わずまじまじとかなえを見つめた。 「いやっ、あのっ」 間を置く事たっぷり数十秒。 我に返ったかのように、かなえはワタワタと両手を振って慌てだした。 どんどん顔は真っ赤になって行き、泣きそうになっているのが端からも良く分かった。 そんなかなえが若干憐れに思い、京介は口を開いた。 「篠崎さん…今の、本気ですか?」 京介の言葉にコクリと頷くのを見て、さらに言葉を口に乗せる。 「高校生ぐらいの時は教師に憧れるって事は良くありますし…こんなおじさんじゃなくてもっといい相手が男子生徒に居ますよ」 憧れって、この姿の俺にか?自分で言ってて笑えるな…ありえねぇ… 「先生はおじさんなんかじゃないです。それにっ先生の見た目に憧れる要素なんて無いと思いますっ」 …だよなぁ、うん。 「すみません。失礼な事を口走りましたっ…でもっ、先生の事本気ですから…って、すみませんいきなり変な事言っちゃって。すみません。失礼しましたっ…失礼しますっっっ」 京介がかなえの言葉に冷静に心の中で返答していると、その沈黙を怒っていると判断したのか、早口で喋ると慌てたように準備室から出て行った。 準備室の扉に足をぶつけるというおまけつきで。 案外素早いな… そんな事を思いながら開きっぱなしになった入り口を見ていると 「いやぁ、青春だねぇ」 そんな言葉が聞こえ、ニヤニヤと笑いながら直哉が入ってきた。 「まだ居たのか。立ち聞きとは趣味がよろしいようで?」 「居たんじゃなくて、忘れ物して戻ってきたんだよ。まさか、告白シーンが見れるとは思わなかったけどな」 「俺だって、告白されるとは思わなかったさ」 「んで、どうするわけ?」 いまだにニヤニヤと笑っている直哉に肩を竦めて見せる。 「さぁ?」 「さぁってお前…女の子が勇気を振り絞っての告白だぞ?何か反応してやれよ」 「あれは勇気を振り絞ってじゃなくて、口を滑らせましたって感じだったぞ?そう言う場合は何もしないのが一番。何か俺に求めてるんだったらまた何か言ってくるだろ」 そう言って椅子から立ち上がると、帰るために荷物の整理を始める。 直哉の忘れ物はコレだろうと、机においてあった煙草を手渡した。 「はー、そういうもんかね?」 「そういうもんだって…あ、そうだ。今日飲み行くわ」 「お、飲みたい気分になっちゃったか」 「まぁな。いつもの店だろ?仕事が終わったら直で向かうよ」 「りょーかい」 準備室を二人一緒に出て扉に鍵を掛ける。 玄関と保健室は別方向になるのでここで分かれる事になる。 「んじゃ、夜になー」 「あぁ」 そう言って二人はそれぞれの方向へと歩き出した。 ラジオの仕事が終わって飲み屋に行った時、直哉のせいで女子高生に告白されたという話が仲間内ですでに盛り上がっていたのは言うまでもない。 |