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南絵は雨の中、傘も差さずにずぶ濡れになりながら歩いている。
目的はいつもの通り修二の家に行こうとしているようだ。






今日の南絵はついてない。

それはほんの些細な事。
ただ、それが何度も続くとなれば…人は『ついていない』と認識するのだろう。






南絵の朝は6時に起床し、シャワーを浴びる事から始まる。

「うそぉ…今、7時?!」

目覚ましを掛け忘れたのか、いつの間にか止めてしまったのか、今日は何時もより1時間も遅くの起床だった。

「やだぁ〜〜…学校に遅刻しちゃうよ!」

南絵は慌てて制服に着替えると、洗面所へと駆け込んだ。

「いやぁ〜…今日は何時も以上に寝癖がひどい…」

鏡に映った自分の姿を見て南絵は呆然とした。
夜にはお風呂に入るのだが、朝は頭を洗わなければならない。
何故なら、寝癖がひどいからだ。
不思議な事に、修二に髪を乾かして貰うと寝癖がつかない。
南絵の乾かし方が雑なのか。
南絵曰く「修二は魔法の手の持ち主」だそうだ。

寝癖直し用のスプレーを頭に付けて、ドライヤーで髪をセットしていく。
みるみる寝癖は直っていったのだが…。

「なー!!これ、どうやっても直らない!!」

南絵は何度やってもピンと跳ねる前髪に悪戦苦闘している。


「あぁっ、やばい!あと10分で出なきゃ遅刻だよぅ」

洗面所に取り付けてある時計に目を向けると7時40分を指すところだった。
南絵の家から電車移動を合わせて約40分。8時30分までに登校しないと遅刻になるのでそろそろ出なければいけない時間だ。

「も、もういいや…ピンで留めよぅ」

赤い花がワンポイントのピンを2本、バッテンになるように前髪を留めると慌てて洗面所を飛び出した。


外に出ると今日はあいにくの雨模様。
南絵はカサを手に取ると、朝食のクロワッサンを口に咥えながら学校へと急いだ。







学校にやっと到着。ダッシュで階段を駆け上がる。

「おはようございます!!」

教室のドアを開けると同時にチャイムが鳴った。

「おはよう谷口」

教壇に居る担任が息を切らして飛び込んできた南絵へと声を掛ける。

「はぁ、はぁ…ッおはようございます、先生…セーフ?」

膝に手をついて何とか息を整える。

「……惜しかったな、谷口」

「えぇ〜〜〜。先生、ちょっとぐらいおまけしてくれてもいいのに〜〜」

「苦情は受け付けません。ほら、さっさと席に着く」

「はぁい」

ガクっと肩を落として席へと向かった。

見ると、隣の席に人が居ない。

今日は修二は遅刻、もしくは休みのようだ。




昼休みになっても修二が登校してくる気配もなく、今日は休みのようだ。

「修二君、今日は休みかぁ…メールも返って来ないし、寝てるのかな」

はぁ…と南絵は溜息をついた。
修二が学校に来ないと言う事が南絵にとっては本日一番の「ついてない」事のようだ。


「南絵。何やってるの?早くご飯食べよう?」

万理が南絵の席にお弁当の包みを持って来た。

「あ、うん。食べるよ」

そう言いながら、鞄の中からお弁当を取り出した。
その途端に、手が滑ってお弁当箱は見事に床の上で逆さになった。

「ぁー、もう。南絵、何してるのよ…」

「ぅえ〜〜…お弁当箱が逆さに…」

幸いな事にまだお弁当の包みを開けていなかったので中身が外に飛び出す事は無かった。

「ちょっと手が滑っちゃった…食べれるし、いいや」

万理と共に他の友人の待つ場所へと移動して、お弁当を開けると見事なまでに中身が散乱していたのは言うまでも無い。


他にも全ての授業で指名されたり、何も無いところで転んだり。
小さな事がどんどんと積み重なっていった。



そして現在、雨の中を歩いていると言う訳だ。

何故朝持っていったはずの傘がないのかと言えば、風に煽られて飛ばされた傘が車に轢かれたのだ。
ついでに言うと、傘を轢いた車に水を跳ねられて灰色の制服にところどころ茶色い斑点が付いている。

南絵はまるでコメディを見ているようだとぼんやり思った。
ここまで来ると感情が何処か冷めてきて、ヒトゴトの様に思えているのだ。



雨が頬を伝って、顎から滴り落ちている。
その頬を濡らしているのは、果たして雨なのだろうか。



前方に見える角を曲がれば修二の住むマンションが見えてくる。

「……修二君に早く会いたいなぁ…」

こういう時は誰かに話を聞いて欲しいもの。
その相手が、好きな人なら尚更聞いてもらって、優しい言葉を掛けて貰いたいものだろう。



「風邪引くぞ」

角を曲がった時、1本の傘が差し出され雨粒を遮った。

驚いて南絵が後ろを振り返れば、そこには今一番会いたい人、修二が立っていた。

「修二君…」

「どうした?傘も差さないで……とりあえず、家で風呂に入れよ。このままじゃ、ホントに風邪引くぞ」

「うん。修二君、買い物してたの?」

俯いた視線の先に、白いビニール袋が目に入り何となくそう聞いてみる。

「あぁ、晩飯の材料買いに行ってた」

「そっか〜。お風呂は入ったらご飯作るね?」

「いいよ。今日は俺が作るから」

「そぅ?じゃぁ、お言葉に甘えるね」

「あぁ。そうしな」

修二は微笑んで、雨に濡れた髪を撫でた。












「ふぅ…」

「南絵、出たのか。ちゃんと温まったか?」

修二がキッチンにいると、濡れた頭をバスタオルで拭きながら南絵が入ってくる。

「うん。お風呂、ありがとね」

「そのままじゃ、風邪引くから。おいで?髪、乾かすから」

南絵の頭を軽く撫でて、リビングへと。
いつものようにソファに座った修二の前に、南絵も腰を下ろす。


「あのね…修二君、聞いてくれる?」

「ん?どうした?」

「あ、ドライヤー止めなくていいから。そのまま聞いてね」

南絵は優しく髪を乾かして貰いながら、今日あった出来事をポツリポツリと話し出した。




全て話し終えると、目に溜まっていた涙が頬を伝って南絵の膝の上に落ちた。
何で涙が出るのか、南絵には良く分からなかった。
自分の意思とは関係なく勝手に涙が零れてしまうのだ。

既に髪は乾かし終えており、そっと南絵の髪に修二の指が絡む。



修二はそっと南絵を抱き上げて、横抱きのままソファへと座り直す。

頬を伝う涙をそっと唇で吸い取る。
南絵の涙が止まるまで何度も何度も。


「南絵。楽しい事が毎日続いたとしたら、どう思う?」

南絵の涙が止まったのを見て髪を優しく梳きながら呟くように言う。


「え…んー…凄く、良い事だと思うけど…」

突然の修二の質問に、不思議そうな顔をする。

「でもさ、毎日が楽しかったらそれに慣れて何時の間にか楽しい事が普通の出来事になる」

「良く…分からないよ?」

首を傾げる南絵に修二は小さい笑みを浮かべる。

「悲しい事とか、辛い事があるから楽しい事や幸せな事が、もっともっと幸せだって、楽しいって感じるんだよ」

「でも…ずっと、嫌な事が続いたら…って、不安になっちゃうよ」

「ずっと止まない雨なんてない。同じように悲しい事も永遠に続くなんて事はないよ。ただ、悲しい時、辛い時はそれにばかり目を奪われて目の前にある幸せに気づけないだけ。ほんの少しでも心に余裕が出来たら、ちゃんとそれに気づく事が出来る」

「今日の修二君は…なんだか詩人だね?」

修二の真面目な雰囲気を壊すような、的外れな台詞に可笑しそうに口端を上げる。

「ま、たまにはそういうのもいいだろ?」

「うん」

小さく頷いて、南絵は笑顔を見せた。

「南絵。窓の外、見てみな?」

「え?」

修二の言葉に窓の外へと視線をやった。
雨はすっかり上がっていて、ところどころ雲の薄いところから光の道が地上へと繋がっている。


「うわぁ…綺麗だね…」

キラキラと目を輝かせて食い入るように外を見遣る。


「止まない雨はない…かぁ…何となく、分かったような気がする」






窓から修二へと視線を戻した南絵。

雨の後に顔を覗かせた太陽のように明るい笑顔がそこにはあった。








彼と彼女の父親 ―南絵の家に遊びに行った修二。チャイムを押すと玄関から現われたのは南絵の父親・和臣だった。

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