【5】君の瞳に映るもの BACK | INDEX | NEXT
「ヴラドさん、ここが風の都、ウィンディアですよ」

「へぇ…結構風が強いな」

「そうですね。今日はちょっと風が強いですね」

グラン家を飛び出してきたリンネとヴラドは、ウィンディアに来ていた。
この街は名前の通り、一年中風が吹き人々に恵を与え疫病から守っている。
あちこちの建物には風車が設置されており、穀物を石臼で引いたり地下から水を組み上げたりしているのだ。

「この街には何度か来た事がありますし、良かったら街の中を案内しますよ?」

風になびく髪を押さえながら、リンネは隣に立つヴラドを見上げた。
そんなリンネを見下ろしてヴラドは暫く考えた後口を開いた。

「とりあえず、宿を探した後に案内してもらうわ」

「あ、そうですね。じゃぁ、宿屋さんへ向かいましょうか」

にっこりと笑って頷くと、リンネは宿屋へと向かって歩き出した。

賑やかな市場を通り抜け、人通りが僅かに少なくなった時だった。

「リンネじゃないか?」

そう後ろから声を掛けられ振り向くと、そこには緑の髪をしたやや痩せた男が立っていた。
僅かに驚いたような顔をした男は、ヴラドに視線をやる事無くじっとリンネだけを見つめていた。

「リンネ、知り合いか」

僅かに眉間に皺を寄せながら、リンネの耳元で囁くと、リンネは一つ頷いた。

「えぇ、家に良く遊びにきていたアークさんです。苛められる私の事を庇ってくれていたんですよ」

途端、嬉しそうな表情になったリンネに思わずムっとした表情を浮かべる。
アークを見ているリンネがそれに気づく事はなかったが。

「リンネ、これから何処に行くんだい?」

人の良さそうな笑みを浮かべるアークはリンネへと近寄った。

「これから宿を取ろうとしていたところなんです」

「あ、そうなんだ。じゃぁ僕の家においでよ。久し振りに会ったんだし、いいだろう?」

「え、良いんですか?」

「もちろんだよ…そこの彼も、一緒に」

チラリとだけ視線を向けて直ぐにリンネへと戻したアークに益々ヴラドの表情は険しくなっていく。
しかもまるでそこには二人しか存在しないかのように、ヴラドを無視して話を進めていくので面白いわけが無かった。

「ヴラドさん、アークさんが泊めてくださるそうですよ」

嬉しそうに言うリンネの様子に、今度はヴラドの顔から表情が消えた。

「…好きにしろよ」

「…?ヴラドさん?」

「さぁ、立ち話はこれくらいにして、早速僕の家へ行こうか」

「えっ、はいっ」

リンネは不思議そうにヴラドを見上げたが、アークに手を引かれて慌てて歩き出した。

「…面白くねぇ」

二人の後ろを少し離れて歩きながらボソリ呟いた。
独占欲の強いヴラドの事、リンネの手を引いてアークから引き離しそうなものだが…そうしなかったのは、リンネがあまりに嬉しそうにしているからなのかもしれない。




アークの家は結構広く、リビングの他に部屋が四つあった。その家に一人で住んでいるという。
二人はそれぞれに部屋を与えられ、荷物を置いた後リビングのソファに座っていた。

「アークさんは、今何をしていらっしゃるのですか?」

出されたお茶を飲みながら、リンネはアークへと声を掛けた。
ヴラドはリンネにぴったりとくっついて、出されたお茶に手を出すわけでもなくただ黙っていた。

「この街の領主のところで雇われ魔導士をやっているよ…そう言えば、知っていたかい?リンネちゃんの見合いの相手、僕だったんだよね」

穏やかな口調でそう言って、アークはにっこりと笑った。

「えぇ?!そうだったんですか?お父様、相手の方がどなたかとか仰って下さらなかったものですから…初めてしりました」

「そうか。僕はてっきり見合いの相手が僕じゃ嫌で家出しちゃったのかと思ったよ」

あくまでも口調と表情は穏やかだったが、言っている事はリンネにとって穏やかな事ではなかった。

「え…私が家出したって、知っていらしたのですか?」

「そりゃぁね。あの後おじさんから連絡があったからね」

「…お父様に連絡したりとか…」

「まさか。僕は何時だってリンネの味方さ。前からずっと、そうだったろう?」

アークのその言葉にホッとした表情を浮かべてソファへと凭れかかった。

「そうですね。すみません、疑ってしまって」

「いやいいさ。暫くはこの街にいるんだろう?好きにこの家で過ごしたら良いよ。じゃぁ、僕はこれから仕事があるから」

「あ、はい。行ってらっしゃい」

アークは立ち上がると、リビングから出て行った。

「ヴラドさん、良かったですね。泊めていただけて…ヴラドさん、どうしたんですか?さっきから黙ったままですよ?」

ようやくヴラドの異変に気づいたのか、心配そうな表情でヴラドの顔を覗き込んだ。

「…リンネ、あいつの事が好きなのか?」

久し振りに口を開いたヴラドの言葉はそれだった。

「え?…何言っているんですか。確かに昔は憧れていた事はありましたけど、アークさんの事そう言う風に考えたこと無いですよ?」

きょとんとした表情の後、笑顔で言うリンネにヴラドは表情を無くした。

「鈍感だな、お前は」

「何がですか?…んっ…」

分らないと言った表情を浮かべたリンネの唇を強引に塞ぐと苛立ちをぶつけるかのように口内を蹂躙する。
長く深い口付けにリンネは苦しくなってドンとヴラドの胸を叩いた。

「ッ…はぁ…ヴラドさん、行き成り何ですか…?」

「リンネ、お前は俺のモノだ。それだけは忘れるなよ」

リンネの問いには答えず、ヴラドはソレだけを言うとソファから立ち上がりリビングから出て行った。

「ヴラドさん…どうしちゃったのでしょうか…」

そう呟くリンネの瞳は、不安そうな色を湛えて揺らめいていた。
無意識のうちに悲しそうな表情を浮かべていたが、リンネ自身気づく事は無かった。









数日経ったある夜、夜中にヴラドは喉が乾いてキッチンの方へと歩いていた。

「最近、リンネを抱いてねぇな…クソッ」

そう毒づきながら髪をグシャりと撫で付けた。

アークの家に来てからと言うもの、リンネはヴラドに抱かれる事を拒み続けている。
リンネの抵抗など普段なら気にしないヴラドであったが、毎回の如くアークの邪魔が入っていた。
まるで聞き耳を立てているかのようにタイミング良く現われる彼には、ヴラドの我慢もそろそろ限界が近づいてきていた。
邪魔されないようにと結界を張った時に限ってリンネが途中で寝てしまうなんて事もあった。
何の反応も示さないリンネを相手にするのは興味が無いらしい。



「…ぁ?まだ寝てねぇのか?」

キッチンへ行く途中、アークの部屋から光が漏れているのに気づき、何となく部屋の方へと近寄った。


「……えぇ、近日中には連れて行きますよ。あの約束、守ってくださいね?」

部屋から声が漏れて来ており、ヴラドは足を止めた。

「大丈夫ですよ。彼女はどうやら僕の事が好きらしいので、きっと素直に付いてくると思いますよ…それでは」

どうやらアークは水鏡を使って離れた誰かと話をしているらしかった。
その内容からするに、リンネにとって良い事ではないということは確かだった。

部屋に踏み込もうかと思ったが、踵を返してリンネの部屋へと向かった。





「リンネ、起きろ」

電気も付けずに部屋へと入ると結界を張り、ベッドで寝ているリンネの頬を軽く叩いた。
うっすらと目を開くと、ボーっとした表情で目の前にあるヴラドの顔を見つめた。

「ヴラドさん…?どうしたんですか、こんな夜中に…」

「明日、この街から出るぞ」

「え?…行き成り、どうしたんですか?」

「あいつ、とんだ食わせ物だぞ」

「アイツって、アークさんの事ですか?」

「そうだ。さっき部屋の前通った時に聞こえてきたんだ。多分、相手はお前のオヤジだと思うが…お前を近日中に連れて行くと言っていた」

リンネは自分に覆い被さっているヴラドの肩を押すと、身体を起き上がらせた。

「アークさんがですか?まさか、思い違いじゃないですか?」

あくまでもアークを信じていると言う風に笑顔を見せるリンネにヴラドは思わず舌打ちをする。

「俺よりアイツを信じるって言うのか」

「え?ヴラドさん…ッ」

手首を押さえつけられ、ベッドへと押し倒されたリンネは驚いた声を上げるが、それを遮るかのように唇を塞いだ。

「ちょ、ヴラドさん…アークさんに聞かれたら…」

「アーク、アークってうるせぇよ…お前は誰のものだ?」

暗闇に浮かぶヴラドの表情に思わずビクリと肩を揺らす。
怒っているような、悲しんでいるような。そんな顔にリンネは困惑の表情を浮かべる。

「…ヴラドさんのものです」

「じゃぁ大人しく抱かれろよ。結界を張ってあるから声も聞かれないし、誰も入って来れない」

それだけ言うと、リンネの身体に唇を落とした。


ヴラドの愛撫は何時に無く性急で、何時に無く乱暴。
最初は戸惑っていたリンネも、既に感じるポイントを知り尽くされている相手だけに、簡単に手管に陥落し、次第に甘い声を漏らしていった。







「…悪かったな。優しく抱いてやらねぇで」

隣で寝息を立てているリンネの髪を撫でながら、自嘲気味に呟いた。
疲れ切って気絶するかのように眠りに落ちたリンネはヴラドの声に起きる様子はない。

「小さい頃からの刷り込みってのは恐ろしいな。無条件でアイツの事信じ切ってる…だがそれも今日までだ。アイツはお前が思っているような奴じゃないって事を分らせてやるよ…それが、悲しませる事になるとしてもだ」

リンネの隣に潜り込むと、眠るその身体をギュっと抱き締めた。

「リンネの瞳に映るのはアイツじゃない。…何時か分らせてやる。お前の瞳に映るのは何時だって俺だって事をな」










次の日の朝、ヴラドは朝食を食べ終えた後口を開いた。

「急で悪いが、今日この街を出ていくことにしたから」

「え?」

アークはそれに驚き、思わず声を上げる。驚いたのはリンネも一緒だ。
昨夜言っていたのは本気だったのかと。

「そんな急にどうしたんだい?もう暫く此処に居たっていいだろう?」

焦った様子でそう言うアークにヴラドは冷たい視線を向けた。

「…何でそんなに慌てているんだ。別に何時出て行ったって問題はないだろうが」

「え、いや…まぁそうなんだけど…」

「じゃぁいいだろ…これ、今まで世話になった分。取っておけよ」

ポケットから取り出した小袋をテーブルの上に放り投げると、金属がぶつかり合う音がした。
袋の中にはコインが入っているようだ。

「ちょ、ちょっと待て!」

戸惑うリンネの腕を掴んで、リビングから出て行こうとするヴラドにアークは声を張り上げた。

「…何だ?」

「リンネ、僕と一緒に住まないかい?」

「え?」

急な言葉にリンネは戸惑い、アークとヴラドの間に視線を彷徨わせた。

「その男と一緒に旅して回るより、僕と結婚した方が幸せになれると思うよ。おじさんだって謝れば許してくれるよ」

ニコニコと笑顔を向けながらそう言うアークに、ヴラドの眉がピクリと動いた。

「お前は、リンネがあの家に戻っても幸せになれると、そう思うのか」

「当然じゃないか。彼女にだってあの一族での役割はあるさ」

「アーク、さん?」

「あの一族っていうか、お前にとって役割があるんだろう?」

ニヤリと笑みを浮かべるヴラドに、アーク焦った表情を浮かべる。

「な、何を言っているんだ」

「悪いが、昨日の話を聞かせてもらった。リンネをあの家に連れて行く変わりに何か見返りがあるだろう?」

その言葉にアークの顔は蒼白になり、リンネは驚いたように目を見開いた。

「ハ…ハハハッ…そこまで知られていちゃしょうがないな。そうだよ。僕はね、リンネと結婚したらオジさんの力で王宮の魔導士にしてもらえる筈だったんだよ。それを君が横から掻っ攫ってしまって…僕の計画が台無しだよ…まぁ、今からでも遅くはないさ。リンネを家に連れて帰れば、結婚しなくても王宮で働かせて貰えるんだからね。さぁ、リンネ。僕と一緒に来るんだ」

「アークさん…そんな…」

リンネは今にも泣きそうになって、ギュっとヴラドの腕を掴んだ。
そんなリンネの肩を抱き寄せると、凍り付いてしまいそうな冷めた視線をアークへと向けた。

「そんな事言われてホイホイ付いていく奴が何処にいる。女はもっと優しく扱えよ」

強引にリンネに迫ったヴラドが言う台詞じゃないが、この場合は正論であろう。

「ッ…クソッ」

苦し紛れに放った魔術は、いとも簡単にヴラドに拡散されてしまった。

「正論を付かれて逆上か?人間てのは直ぐ攻撃したがる…」

掌に魔術を作り出している男の台詞ではないが、ヴラドは至って本気だ。

「俺に殺されるか、リンネの事を諦めるか二つに一つだ。選ばせてやるよ」

ヴラドの射抜くような視線にアークの身体はガタガタと震え出した。

力の差は歴然で、それはアークの身体にもヒシヒシと伝わってきていた。

「いいか、今度リンネに手を出したら選ばせてやるなんて事は言わねぇからな」

ガクガクと頷くアークに一瞥をくれると、リンネの身体を抱き締め直してその場から姿を消した。






「リンネ、泣くな」

ウィンディアの外れにある小高い丘の上に腰を下ろして、涙を流すリンネを抱き締める。

「っ…だって、昔はあんなに優しかったのに…」

「時が経てば人は変わるもんだ…お前には俺が居るだろ?」

優しく髪を撫で、キスを落としていく。

「ヴラドさん…」

いまだ止まらない涙に、ヴラドは息を吐き出すと更に強く抱き締める。

「まぁいい。今は泣きたいだけ泣けよ。他の男を想って泣く事を許してやるよ」

何処までも尊大な言い方。だが、優しい言葉で慰められるよりもそれが嬉しかった。
リンネはヴラドの優しい手に、そっと目を閉じて肩口に顔を埋めた。

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