【17】Engagement BACK | INDEX | NEXT
全ての準備を終え、ヴラドの就任式が今日執り行われようとしていた。
数日前、就任式にも戻ってこれそうだと言われていたアスヴェルが、戻ってきたという報せはまだ入ってきていなかった。
「とうとう、今日が就任式…」

鏡に映る自分の姿を見遣り、リンネは緊張の面持ちで息を吐き出した。
別にリンネが何かするというわけではない。
式の様子を見ているだけ。
まだヴラドと正式に伴侶としての儀式を交わしていないリンネは、式に出席する義務などなかった。
だが、今回はヴラドの就任式と共にリンネのお披露目という目的も兼ねていた。
屋敷に集まった一族の上層部でその決定が下った。リンネは嫌がったが、ヴラドが珍しくそれに同意したのだ。
人前にリンネを出すのは嫌だったが、リンネを正式にヴラドの伴侶として周囲に知らしめる事により、リンネの身辺が少しでも安全なものになるだろうと考えたからだ。
党首として就いてしまえばヴラドを襲ってくる輩は少なくとも一族の中では居なくなる。
伴侶であるリンネが、ヴラドを蹴落とすために利用されることも極力避けられる。
そう考えての今回のお披露目だった。

だが、リンネは気が重かった。

鏡に映る着飾った自分の姿に再び溜息を付く。
幾ら着ている物が上等な物でも自分に似合っているとは思えなかったのだ。
服を着せてくれた館の従者は似合っていると言ったが、リンネは単なるお世辞だろうと意に介していない。
実際のところ、胸元と背中が大きく開いた薄水色のドレスはリンネに良く似合っていた。
だが、生まれてからずっと疎ましがられて来たリンネは自分に自信など持っていなかった。
ヴラドに愛され少しずつ自分を卑下する気持ちは薄れてきていたが、それでも幼い頃から培われてきたものは簡単になくなるものではなかった。



「リンネ、準備は出来たか?」

ヴラドがノックもせずに部屋に入ってくる。
鏡の前で佇んでいたリンネを見るやふわりと笑みを浮かべた。

「あ、はい。準備は出来ましたが…本当に私も出席するのですか?」

就任式の当日になって尚、戸惑いを見せるリンネに苦笑を浮かべる。
隣に立つとその姿を見下ろした。

「あぁ。ただ立っているだけでいい。式の間はジルが隣に居るよう計らったから心配するな」

「そう、ですか」

リンネは不安げに俯く。
すると「それにしても」と頭上から声が降ってきた。
顔を上げるとヴラドの笑みが瞳に映る。

「その服、良く似合ってる」

「ヴラドさん…」

ヴラドにそう言われると不思議とそんな気になってしまう。
他に対して冷徹な分、リンネに対しては真っ直ぐで気持ちを隠さず伝えてくる。
言葉でも、態度でも。
だからこそ、リンネの気持ちがヴラドへと傾いたと言っても過言ではなかった。
初めて他人に必要とされることに僅かな不安と、大きな喜びをリンネにもたらしたのだ。
「似合ってますか?」

「あぁ、この場で押し倒したいくらいにな」

ニヤリと笑うヴラドにほんのりとリンネの顔がピンクに染まる。
そんな反応に更に笑みを深くして、リンネの唇を奪った。

「んっ」

思うが侭に口内を蹂躙する。
縋り付いてくるリンネの頭を抑え、角度を変えて何度も味わった。

暫くして唇を離すと、艶やかにぬれたリンネの唇を親指でぬぐった。

「んな顔してると、ほんとに襲うぞ」

開いた胸元に見えるリンネの刻印に指を這わす。
胸元が開いたドレスはこれを見せるためのものであた。
本来なら修道女のようにリンネの肌を隠し、人前に見せたいとは思っていない。
だが、この刻印は二人の契約の証。
他に二人の事を知らしめるには丁度良いものだった。

刻印とは反対側の胸元に唇を寄せると、キツク肌を吸い上げる。
白い肌に一つ、紅い跡が残された。
「そろそろ行くか」

ヴラドに腰を抱かれ促されると、コクリと首を縦に振った。
ヴラドに伴われ廊下を歩いていると、こちらに向かって来たジルに出会った。

「ヴラド様まだそんな格好をして。早く着替えてください」

そういえば。とリンネはヴラドの格好を見遣る。
黒のズボンにハイネックのシャツ。
自分の格好に比べてあまりにも普段着過ぎる。

「リンネ様は私がお連れいたしますから。ヴラド様が居ないことには始まらないんですからね。式が終わるまで、リンネ様はしっかりとお守りさせていただきますのでご心配なく」

その言葉にヴラドの目が細められる。

お前が、リンネを守る?出来るのか?

そうその目が語っているのがジルにも分かった。

「心配ならさっさと着替えてさっさと終わらせればいいんですよ」

その言葉にヴラドは息を吐き出した。

「アスヴェルは?」

「まだこちらに着いたと言う話は聞きませんね」

「そうか…リンネを頼む」

そう言うとヴラドは足早にその場を後にした。

「さ、リンネ様。参りましょうか」

「あ、はい」

ジルに案内されるままに会場へと向かった。




「うわぁ…」

ジルに連れて来られた場所を見て思わず感嘆の声を漏らした。
入り口から正面、向こう側の正面には祭壇のようなものがあり、上から下へと水が流れている。下にある水の受け口となっているのであろう泉からは受けきれなくなった水が溝を通って外へと流れ出て行っていた。
壁には羽と角の生えた獅子とドラゴンが向かい合っている絵がかかっていた。
恐らくこれがこの一族の紋章なのだろうとリンネは思った。
入り口から一直線に祭壇へ向かって細長いカーペットが敷かれている。
その他の部分は石畳になっていた。
カーペットの両脇に椅子があったら、教会の聖堂のようだと感想を持った。
もっとも、魔界には宗教という概念は存在していないが。

既にカーペットを挟むようにして人がずらりと並んでいた。
屋敷の中で幾度か顔を見た者や、初めて見る者と様々だ。
祭壇から入り口に向かって一族の序列で並んでいるのだとジルが口にする。
リンネが並んだのは列の真ん中あたりだ。

緊張の面持ちであたりを見渡していると、祭壇の一番近くに居る人物と目が合った。
ヴラドの父親だ。
彼は小さく笑みを浮かべ、頷いた。
リンネは見知った顔に幾分緊張を和らげ、笑みを返した。

「ジルさん。お父様、立っていて大丈夫なのですか?」

ヴラドの父親は病気で普段は床についているのだ。
リンネの疑問は最もな事だった。

「式はそんなに長いものではないので、恐らく問題ないでしょう」

「そう、ですか?」

「えぇ。それに現党首にはヴラド様にその座を受け渡す大事な役目がありますから。居ていただかないと困るんです」

病人を相手にそれは非情ではないのか?そう思って眉を顰めるが、敢えて口には出さなかった。

「現党首が居ない場合は仕方ありませんが、これは一族のしきたりですから。誰も変えられません」

そう言い切るジルにリンネは内心溜息を付いた。
なんだか、私が暮らしていた世界より規律が厳しい気がしますね。
ここに来てから何度『しきたり』という言葉を聞いたかしら。
ヴラドさんが嫌がっていた気持ち、ちょっと分かったような気がします…
そんな事を考えて居ると、周りのざわめきが収まった。
皆入り口へと視線を向けている。
リンネもそれに習うように顔を向けた。

いつの間にか閉じられていた扉が開き、党首の補佐である男が入ってくる。
その後ろに続いてヴラドも室内に入ってきた。
入場に曲も何もない。
静寂の中にカーペットの上を歩く足音だけが室内に響き渡る。

入ってきたヴラドに一瞬リンネは目を細めた。
ヴラドが身にまとっているのは全身真っ黒な衣装だ。
膝ほどまである上着が、ふわりと風に乗って後ろになびく。

リンネの横を通り過ぎる時、一瞬ヴラドが視線をよこした。
リンネ以外誰も気づかなかったようだが、それに気づき心臓が高鳴った。
いつものヴラドと違う気がして胸がドキドキした。
衣装のせいではない。何だか近寄りがたいような気がして少しだけ不安な気分にもなった。

全身真っ黒だと思った衣装は近づいてみるとそうでもなかった。
袖や裾等、銀の糸で刺繍が細かく施されている。
背中にも銀の糸で一族の紋章、獅子とドラゴンが描かれていた。
ヴラドが祭壇へ向かっているのを見送った後、何気なく入り口の方へと目を向けた。
閉じられた扉が、再び開いたからだ。
―――リズ、さん…?
初めは着飾ったその姿に遅刻してきたのだろうと考えた。
だが、何か嫌な予感がする。

ヴラドからリズの事は掻い摘んで話を聞いていた。
まさか…いや、でも…と思い悩む。
それでもリズから目が離せないでいた。

リズの次の行動に目を見開く。
掌に魔力がこもったのを見たからだ。
参列者は祭壇の方へ顔を向けていて誰も気づいていないようだ。それは隣に居るジルもだ。
もちろん、背中を向けているヴラドも気づいた様子はない。

リンネはとっさにカーペットの上に飛び出した。
殆ど脊髄反射に近い。
ヴラドを守りたい。リンネの頭の中はそれだけだだった。

リンネが飛び出したと同時にリズから魔力の玉が放たれた。
リズの魔力、全てを注いだそれは瞬く間にリンネに接近し――――



ズドーンという物凄い爆音と爆風が室内を襲った。

突然の出来事に、参列者は皆身体をその腕で防御する。
ヴラドもまた、顔を防ぎながら振り返った。
即座にリンネの方へと目をやるが、煙が舞った室内でその姿を見つけることは出来ない。

煙が消え、視界がクリアになった刹那、ヴラドは駆け出した。

「リンネッ」

目に映ったのはカーペットの上に膝を付くリンネと、入り口で呆然としているリズの姿。
「リンネッ大丈夫か?!」

膝を突いたリンネを抱き上げると、顔を覗き込んだ。
肩で大きく息をつき、ヴラドを見上げてきた。

見たところ怪我はしていなそうだった。

「はい…大丈夫です…ちょっと魔力、使いすぎちゃって…疲れているだけです」

布越しに伝わってくるヴラドの体温に、ほっと息を吐き出した。

「なんで、こんな…」

リズが最後のチャンスとばかりに不意打ちを狙ってきたのは、リズが魔力を集中させていた時から分かっていた。分かっていてリズを敢えて止めようとはしていなかったのだ。
だが何故参列者の中に居たリンネがカーペットの上に居るのだ。
状況から判断すれば、リンネがその身を盾にして、防げるかどうかも分からないリズの術を前に防御壁を張ったのだろう。
そんな事は分かってる。

「私が、ヴラドさんを守るんです」

はっきりとした意思のこもった、凛とした声が静かな室内に響いた。

「リンネッ」

きつくリンネの身体を抱きしめた。
リズは失敗に終わった事を悟り、ガクリと膝を突いた。
正確に言えば就任式は終わっていない。
現党首からヴラドへと代々党首へと受け継がれてきた剣を渡していないからだ。
だが、リズにはこの時が全てだった。
それが終わった今、成す術はなくなったのだと分かっているのだ。

ヴラドはリンネを抱いたまま、リズの元へと歩み寄る。
膝を突いたリズの前に立つと冷たい目線で見下ろした。

「リズ。何か言うことはあるか?」

酷く冷徹な声。
参列者はただ黙って事の成り行きを見守るしかない。
誰もこの男のやる事に口出しは出来ないと思っていた。
リンネもまた、何も言えずただ二人のやり取りを見守っていた。

「いいえ。何も」

そう言ってリズは静かに目を閉じた。

「そうか」

ヴラドが一つ息を吐き出した時。



「あれ?もう式終わっちゃった?」



突然降って沸いた第三者の声。
その場の緊張の糸を切るような、なんとも穏やかな声だった。

ヴラドは声に顔を上げて入り口に居た人物を見遣る。

「遅い」

ヴラドはそう一言だけその人物に言葉を投げると踵を返して祭壇へと向かった。

「ヴラドさん。あの方ってもしかして…」

腕の中で己を見上げてくるリンネに頷く事で考えている事を肯定する。

「アスヴェル。そこのリズをしっかり捕まえとけ。式が終わるまでな。話は後だ」

入り口に居た人物――アスヴェルは当然ながら何が起きたのかは理解していなかったが、ヴラドの言葉に頷き、リズを立ち上がらせた。

「アスヴェル…」

先ほどの失敗と、思いがけない人物の登場にリズの頭は混乱状態だ。
アスヴェルに促されるまま出席者の列に並ぶ。
その腕はしっかりとアスヴェルに捕まえられていた。

リンネはヴラドの父親の傍に連れて来られた。
用意させた椅子にリンネを座らせると、ヴラドは祭壇の前に戻って行った。
先ほどの出来事など無かったかのように式は淡々と執り行われていく。
現党首から新しい党首へ剣が受け渡され、その剣で掌を傷つける。
ポタリポタリと落ちた血が泉の水に溶け込んだ。

その瞬間、ヴラドは一族の新しい党首となったのだった。



その後、リンネもヴラドの伴侶として紹介された。
反対されるのではと恐れていたが、特に誰からも不満の声は上がらなかった。
リンネはそれを不思議に思っていたが、ヴラドには理由が良く分かっていた。

今まで反対して来た者たちは、リンネが居ることで一族、ヴラドのアキレスになるのではないかと懸念していたのだ。
それが先ほどのリンネの行動によりその考えが払拭しつつあるのだろう。
―――現金なやつらだ。
ヴラドは冷たい視線で出席者を見渡すのだった。

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