【11】言の葉の泉 BACK | INDEX | NEXT |
どれ位走り続けただろうか。 リンネの息は上がり、少し休もうかと足を止めた。 「…あれ…?」 リンネは何か違和感に気づき、辺りをゆっくりと見渡した。 目の前には二手に分かれた道があった。 「来た時、分かれ道なんてありましたでしょうか?」 不思議そうに首を右に傾けた。 「…それに、こういう景色…でしたか?」 来た時と同様、木々に囲まれた道ではあるが何かが違う。 「…とりあえず、戻ってみましょうか…」 神殿へと戻ろうと、もと来た道を歩いて行くとまた分かれ道があった。 「あれ?…どっちの道から来たのでしょうか…?」 右の道も左の道も似たような景色が奥まで続いており、リンネは困ったように眉を寄せた。 完全に迷子である。 「左…のような気がします…とにかく、行ってみましょう」 リンネは自分の勘を頼りに左の道へと入っていった。 木々に囲まれた一本道を進んでいくが、神殿が見えてくる様子もない。 やはり、右側の道だったのだろうか… そんな事を考えるようになった頃、小さな泉へと辿り着いた。 どうやら道は此処で終わっているらしく、引き返すしかないようだ。 「そう言えば、私って昔から方向音痴だって言われていましたね…魔界では、今ごろどれ位の年月が経っているのでしょうか…」 僅かに落胆した声色でポツリ呟き、来た道を引き返そうと踵を返した時だった。 「あれ?おねぇちゃん?」 聞き覚えのある声背後からがして振り返った。 「イオ君!」 見ると泉の前に神殿へ向かう時に出会った男の子が立っていた。 「何時からそこに?さっき居なかったでしょう?」 「うん、今来たところだよ」 「今来たところって…他に道はないようですが」 「そうだよ。僕の家から此処に来るにはアッチから来た方が近道なんだ」 得意げに指差す方向には道などなく、何処までも木々が生い茂っているだけだ。 此処に住む人ならではの近道と言う事だろう。 「おねぇちゃんも泉に願いを言いに来たの?」 「ううん。地獄の門に行こうとしたのだけど…どうやら迷子みたい」 リンネがそう言うと、イオは驚いたように目を見開いた。 「地獄の門?あそこなら直ぐ近くにあるよ」 「え?そうなの?」 「うん。ただ、その道を戻るとかなり遠回りになるんだよね…僕が連れて行ってあげるよ」 「ありがとう、イオ君。…ところで、その泉って何?」 「この泉?これはね、『言の葉の泉』って言って願い事をするところなんだ」 リンネはイオと共に泉へ近づき、泉の中を覗き込んだ。 泉の中は透明で、光の届かないはずのそこの方がキラキラと輝いていた。 「願い事が叶う泉?」 「うーん…そういう訳じゃないんだけど…例えば、何かになりたいとか目標があったりする時にここに来て願い事をするんだ。そうするとね、その目標に対して自分が挫けそうになった時、不思議と力が湧いて来るんだ。自分の力じゃ叶いそうにない願いとか、漠然とした願いとかそう言うのはここで願っても叶わないんだよね」 得意そうに泉に付いて語るイオに小さく笑みを浮かべる。 「そうなの…私も、願い事していこうかな」 「うん、折角来たんだしそうしなよ」 ニコニコと頷くイオに頷き返して、泉の前に膝を付いて両手を組んで合わせると、そっと目を閉じた。 ―――――ヴラドさんに守られてばかりでなく、ヴラドさんを守れるだけの力を持てる様になりますように。 そう強く強く心の中で願った後、ゆっくりと瞼を開けた。 一瞬だけ、泉の底が暖かい色に変わったような気がした。 「おねぇちゃんの願い、叶うといいね」 「えぇ。叶うように努力するわ」 「さぁ、おねぇちゃん。地獄の門へと出発だ!」 ヴラドは相変わらず、地獄の門の前に座ってじっと門を見詰めていた。 既にリンネが中に入ってから100年の時が過ぎ去っていた。 その間に、一族の頭首が病に倒れていた。 もう気の遠くなるくらいに長い年月を生きたのだ。 そろそろ、という声もチラホラと一族の間では上がっていた。 魔族とて長寿ではあるが死なないと言う事ではなかった。 大抵の魔族の死因は消滅。 戦いの最中敵によって言葉のとおり、存在そのものを消されてしまうのだ。 これは大抵、相手の強さが自分の強さよりも遥に上回っている時、相手の攻撃によって跡形もなく吹き飛ばされてしまうのだ。 そしてもう一つが頭首がかかった病だ。 原因不明、治療方法無し。 ただ肉体が朽ちるのを待つしかないと言う不治の病。分っている事は他の者に感染しないと言う事だけだった。 一族の頭首が病に倒れた今、ヴラドが頭首の座に就くのも時間の問題だった。 ヴラドの一族は下克上はありえない。 一旦頭首に就いてしまえば、死ぬまで頭首であり続ける。 一族の者達が争うのは次期頭首の座だった。 戦いになれば頭首は先陣を切って戦う。 頭首だからと後ろで見ているわけではないのだ。 一族の中で一番強いのは頭首だ。頭首が戦わずして誰が戦うと言うのだ?というのが一族の掟の一つであった。 戦いの最中命を落とす頭首も過去に何人か居た。 その時は次期頭首に選ばれていた者がそのまま頭首の座に就くのだった。 「ヴラド様、そろそろお戻りくださいませ。もう間もなく、頭首の座は空になります」 「ジル。何回目だそれは。いい加減、別の奴に就かせればいいだろうが」 うんざりと言った様子でヴラドはジルに視線を投げた。 「いいえ。掟は掟ですから。もう諦めたらどうですか。100年も戻ってこないなんて、貴方の待ち人はもう生きては居ないのではないですか?」 ジルがそう言った瞬間、ブワっとヴラドの身体から殺気が立ち登った。 視線だけでも殺せそうな位に殺気を宿した瞳でジルを睨み付けた。 「お前…本当に殺されたいようだなぁ?」 「いえ、考えられる事態を言ったまでです」 「まだ言うか?よっぽど自殺願望があると見えるな」 怒りで金色の瞳は僅かに赤みが差し、手の中に今までに無いくらいに膨大な魔力が集まっていく。 「ヴラド様。私を殺しても直ぐに別の誰かが此処に来ますよ。何人殺そうとも、貴方が次期頭首だと言う事実は変わりません」 「そしたら、また追い払うだけだ。他に何か言う事はないか?最後の言葉ぐらい聞いてやろう」 冷たいくらいに無表情になり、口元に笑みを湛える。 魔力が集まった掌をゆっくりとジルへ向けた。 その魔力を解き放てば、ジルが消滅するだけでなく、地面が深くえぐれてしまうだろう。 それくらいに膨大な魔力が掌に込められていた。 「紛れも無く貴方が次期頭首です。私が最後に言う言葉はそれだけです」 ジルは膝を地面に着いたまま、そっと瞳を閉じた。 まるで、自分の死を受け入れたかのように。 「あぁそうか。でも残念だったな?お前の最後の願いは叶えられねぇよ…リンネがこの門から出てくるまでな?あぁ、確かお前はリンネが死んだとかぬかしやがったな。じゃぁ、この先俺が死ぬまでその願いが叶う事はねぇよ」 ジルへと魔力が放たれようとした正にその瞬間、緊張の糸を切るような錆びた金属の擦れる音が響いた。 「ぁ?」 ヴラドが音の方へと視線を向けると、門がゆっくりと開く瞬間だった。 「ッ…門が…」 ジルは信じられないと言った様子で、開いた門を見詰めた。 開いた門の隙間から姿を現したのは、100年前と変わらぬ姿のリンネだった。 「リンネッ」 掌に集めた魔力を分散させると、ヴラドは駆け寄ってそのまま力強く抱き締めた。 リンネが魔界に足を踏み入れると、今度は門は音も立てず静かに閉じた。 「っの馬鹿が。この俺様を待たせるなんて良い度胸だなぁ?」 忠犬のようにリンネを100年も待っていたにも関わらず、ヴラドの口調は相変わらずだった。 「すみませんでした…あちら側ではまだ一日しか経っていないんですよ?でも、ヴラドさんがずっと待っていてくれるって、信じていました」 リンネが微笑みを向けると、ヴラドの瞳が優しい色を湛えて揺らいだ。 「ばぁか。当たり前だろ?」 「ふふ。これでずっと、一緒に居られますね?」 「永遠の命、手に入れられたのか」 「いいえ。私が欲しいのは永遠の命じゃありません。ヴラドさんと共に生きる事。ヴラドさんが居ない明日なんて生きている意味がありませんから。ヴラドさんが死んだ時、私の寿命も尽きます…ッん…」 リンネの言葉を聞いて、ヴラドは思わずリンネに口付けた。 今までの分を味わうかのように深く、長い口付け。 唇が離れた時、リンネは自分で立っている事が出来ず、ヴラドに抱きついた。 「ヴラドさん、好きです…ずっと傍に居てください」 「当たり前だ。嫌だっつっても離さねぇよ」 「嬉しい」 リンネはにっこりと笑って、抱きつく腕に力を一層込めた。 ヴラドもきつく抱き締め返し、リンネの髪に顔を埋めた。 「……あの」 二人の甘いムードを裂くように、第三者の声が割って入った。 言わずもがな、ジルの声だ。 「…なんだ」 邪魔をされてヴラドは不機嫌な声を向けた。 「待ち人も戻ってきたようですし、お戻りください。その方が戻ってきたら、党首の座に就いて下さるんですよね?」 その言葉に、ヒクリとヴラドの口元が引きつった。 「ヴラドさん、頭首になるんですか?」 リンネが更に追い討ちをかけるように質問をしてくる。 「いや…」 「そうです!ヴラド様は我が一族の頭首なんです」 ヴラドの否定の言葉を遮るように、大きな声でジルはリンネへと告げた。 「頭首だなんて…ヴラドさんて凄い方だったんですね」 無邪気にそう言うリンネに、ヴラドは溜息をついた。 「さぁ、ヴラド様戻りますよ。現当主が亡くなる前に就任の儀式をしなくては」 明らかにウキウキとした様子のジルにヴラドはさらに思い溜息を吐いた。 酷い仕打ちをされたにも関わらずジルは相変わらずの忠誠心をヴラドに抱いている。 それは何故かと言えば、ジルにとってヴラドはたった一人の人なのだ。 ヴラドにとってリンネがそうであるように。 とはいっても、ジルが抱いているのは愛情ではないが。 「それに、その方も我が一族中に披露しなければいけませんからね。忙しくなりますよ」 「え、一族の方々に紹介されるんですか?」 意外といった表情でリンネはヴラドを見上げた。 「当然だろう?お前は、俺のたった一人の伴侶だからな」 そう言うとリンネは幸せそうな笑みを向けた。 「さぁ、ヴラド様!何時までもこんな場所に居ないで戻りますよ!」 そう言って、ジルは姿を消した。 「えと、行きましょうか?」 リンネにそう言われて、ヴラドは肩を落として抱き締める腕に力を込めるとその場からリンネ共々姿を消した。 誰にも邪魔されずに二人っきりで過ごしてぇんだけどな… そんなヴラドの願いも虚しく、一族の頭首の座に就く事になってしまった。 流石に一族全員を敵に回してはヴラドも生きてはいけないから。 そんな事になってしまってはこれから過ごせるであろうリンネとの生活を捨てる事になるのだから。 |