視線の先に 4 月曜の朝、学校へ行く準備をしている京介の携帯から音楽が流れてきた。 『よっ!この女子高生殺しv』 「・・・アホか」 これから学校へと出勤する時間を見計らって送ったに違いない。 お互い、こういうからかう様なやり取りをする事がある。 軽くため息を吐くと、そのメールには返信せずに家を後にした。 朝のHR。 顔を合わせないようにしているのか?まぁ、気持ちは分からないでもないがな そんな事を思いながら教壇へと上がる。 かなえは教壇の真ん前の席だ。 が、即座に顔を背けられた。 ふぅん・・・ばつが悪いっていうか、どうしたらいいか分からない・・・って感じか? 視線を逸らされた事などさして気にしてなどいない。
今日はクラスの授業も無い。 一日、かなえとは何の接触も無く放課後を迎えた。 本来、教師と生徒などこんなものだろう。 いつもの国語準備室。 まぁ、落ち着くまで暫くは来ないかな そんな事を思いながら、準備室の扉に鍵を掛けると保健室へと向かった。 「直哉?居ないのか?」 保健室へ行くとそこの住人は何処かに出かけているようで誰も居なかった。 放課後の職員会議が始まる前の一時間、いつもこうやって仮眠を取っている。 結局のところは眠くなってしまうのだからどうしょうもない話だが。
ふと、誰かの声がして目を覚ました。 直哉が戻って来たのか・・・? 時計を見るとあれから30分ほど寝ていたらしかった。 「あ、有難うございました」 「いえいえ。これが仕事だからな・・・そう言えば、昨日京介に告白してたろ」 「?!な、何でそれをっ・・・もしかして、葛岡先生から聞いたんですか?」 話から察するにかなえである事は間違いない。 声からでも想像する事が出来る彼女の表情。 それにしても、直哉の奴何言ってんだ?放っとけって言ったはずだがな・・・ そんな事を考えるが出て行くつもりはまだない。 「いや、京介の所に忘れ物しちゃってな。立ち聞きするつもりは無かったんだが、ドアの外まで聞こえて来てな」 「ぅわぁ・・・は、恥ずかしい・・・」 「あぁ、安心しろ。薬飲んで今熟睡してるところだから」 「そう、ですか・・・」 「それにしても、なんで京介なんだ?見た目はあぁだし、好きになる要素なんてないだろ?」 カーテンが閉まってるから誰か居ると思ったのか。 そんな事を考えているうちに、かなえが理由を話し始めた。 俺の声、ねぇ・・・ 京介にとって自分で気に入っている部分は声だ。 声を仕事にしている京介にとって、見た目が気にならないくらいに声が好きになってしまったという言葉は、仕事に対するやる気を沸き立たせるものだった。 職員会議まで後十分と言うところで、かなえは保健室から出て行った。 「なぁにが、何時でも相談に乗る、だ」 ベッドのカーテンを開けると、ニヤニヤと笑みを浮かべた直哉と目が合う。 「別に、俺は嘘なんて言ってないぜ?やさしぃ保健医が悩める生徒の相談に乗ってあげるってだけだろ」 「ただ単に楽しみたいだけだろ、お前は」 はぁ、とわざと大きなため息を吐く。 「で?結構気に入ってんだろ?あの子の事」 扉に手を掛けたところで背後から聞こえてきた言葉に振り返る。 「さぁ?」 ニヤリと笑みを浮かべ保健室から出て行った。 「楽しそうにしちゃってまぁ」 あの笑みを『楽しそう』と感じるのは直哉だけだろう。 「後一押し、かな」 直哉もまた楽しそうな笑みを浮かべるのだった。
それから数日が過ぎた。 『頑張ってみる』そう言ったかなえからは何のアクションも無く、京介は放課後は準備室へは荷物を取りに行くだけとなっていた。 職員会議やDJの仕事で直ぐに家に帰れない時は、相変わらず保健室で仮眠を取っていた。 そして今日もまた、まだ仕事をしている直哉を横目にベッドへと潜り込んでいた。 うとうとと夢と現実の狭間を彷徨い出した頃、勢い良く保健室の扉が開く音がした。 「・・・なんだ・・・?」 不機嫌そうに眉を寄せて、そう呟いた時。 「たのもーー!!・・・違った、遠山先生居ますかー?」 聞こえてきたのはかなえの声。 「おー?篠崎、どうした?」 威勢良く入ってきたかなえとは裏腹に、のんびりとした口調で直哉が言葉を返すのが聞こえてくる。 今は睡眠の方が大事。 布団を被ってしまえば普通の声なら僅かにしか聞こえてこない。 そう思った時だった。 「あれのどこが『アノ見た目だから』で『女性に告白されているのがなれていない』で『照れているんだよ』なんですかーー!」 布団を通しても聞こえてくるかなえの甲高い声。 京介は溜息を吐き出しながら起き上がると、皺の寄った眉間を押さえた。 「は?何の話?篠崎、落ち着こうねー?」 「だから、葛岡先生の事ですよ。葛岡先生のどこが『女性に告白されているのが慣れていない』ですか」 「アノ見た目を見れば、当然だろう」 尚も聞こえてくる声。 ベッドから降りようと足を下ろした時、聞こえてきた台詞に動作を止めた。 「私、分かっちゃったんです。葛岡先生が実は、ラジオのパーソナリティの『ケイ』だって事」 「はーぁ。で、その根拠は?」 「声です」 「声ぇ?」 「なんて言うんですか、ケイの方が甘さを含んでいてフェロモン全開ーって感じだけど、二人とも本質は一緒なんですよ。ケイの甘さを取ってもう少し声を低くしたら葛岡先生の声の出来上がりー・・・みたいな。似てるとかそう言うのじゃ済まされない位に一緒なんですって!」 なんつーか・・・動物並みの聴覚してんな 半ば関心したように頷く。 その辺りは褒めてやるよ。だが、俺の睡眠を邪魔した事、どうやって苛めてやろうか 最近睡眠不足が重なって、京介の機嫌の悪さはピークに達しようとしていたところだった。 此処で京介が寝ている事も、そんな状態になっている事も知らないかなえは、憐れにも貴重な睡眠時間を邪魔する事となったのだった。 「そこまで愛されてると嬉しいだろ?京介」 そう直哉の言葉が聞こえて、ベッドから降りてカーテンを開ける。 目に飛び込んできたのは、目を真ん丸にして京介を見つめるかなえの顔だった。 「ギャーーー!!!なっ、何で葛岡先生がココにッ」 あーもー、うるせぇ かなえの叫びで不機嫌さを増していく。 「今回は俺は何もしてないぞ。篠崎がいきなり来て、いきなり話し始めたんだからなぁ?」 京介が今、不機嫌の絶頂にある事に気づきながらも直哉は知らん振りだ。 「えっ、いやっ・・・って、えぇ?!」 「はいはい、落ち着いて」 「今回はってどういう事ですか!」 「んー、まぁ、前回の時にベッドで寝てたのは京介でしたー。なんてな?」 その言葉に衝撃を受けたように固まって、京介と直哉の顔を見比べるかなえ。 心の中でニヤリと笑うとゆっくりとかなえに近寄っていった。 「まぁ、何て言うか・・・三度も熱い告白サンキュー?」 「あ、あの・・・そっちが本当の声、ですか・・・」 思いもよらない返答が返って来て思わずクっと喉を鳴らす。 「まぁ、学校では若干声変えてるな。普通に喋ってたら簡単にばれるかもしれないしな」 「しゃ、喋り方もそっちが本当なんですか・・・」 「あぁ、篠崎さんはこっちの喋り方と声の方が好みですか?」 その質問にはにっこりとした笑みもおまけに付けてやる。 「や、どっちも良い声ですけど・・・」 「じゃぁどっちでも良いよな」 「はぁ・・・」 何とも気の抜けた返事だ。 「な、何で教師がパーソナリティなんてやっているんですか?」 「いーや、逆。パーソナリティが教師やってんの」 「そうですか・・・って、何でですか?そんなに儲からないんですか?」 「まさか。・・・こいつの親父さんに頼まれてね。とりあえず今年1年やる事になったんだよ」 「遠山先生のお父さん・・・?」 「この学園の理事長。知らなかった?」 「ぅえぇ?!」 直哉を指すと、この状況を忘れたかのようにかなえは驚いた。 背中は壁。逃げ場を塞いでどうしてやろうか かなえと返答を繰り返しながらも京介の頭の中は別の事で回転している。 「長男で跡取の癖に、保健医なんてやってんだよ。道楽息子だと思わねぇ?」 「はぁ・・・」 「ちょいまち。道楽息子ってのは聞き捨てならないな。こうやって学園のために尽くしてるだろ?学園の後継ぎは弟に任せたし、何の問題もないじゃないか」 「はぁ・・・」 「聞きたいことは以上?」 「はぁ・・・」 かなえと京介の距離、後数十センチ。 かなえの行動を見ていて、ふとある事が浮かんできた。 「なぁ、直哉。こいつって、ハムスターみたいじゃねぇ?回し車ん中でグルグル回ってる感じ」 「あぁ、確かにそんな感じ。京介、小動物好きだよなぁ?」 「まぁな」 京介が言いたい事を理解したのか、直哉がニヤリと笑みを向ける。 「あのー、二人で何の話を・・・」 「篠崎、俺の事好きだって言ったよな?」 「は?へ、まぁ」 「いいぜ。付き合っても」 「は?」 なんとも間抜けな表情。 「えっと、付き合うって、彼氏彼女の関係って事ですよね?・・・教師と生徒じゃまずいんじゃないかなぁ・・・って」 「別に、本職は教師じゃないし。問題ないだろ。いざとなったら辞めればいいし・・・何か不満でも?」 更に距離を縮めてかなえの頭の横の壁に手を着く。 「え、え??」 「相手が俺じゃ、嫌だっていうのか?」 自分の武器を最大限に使い、耳元で囁く。 「そんな事ないです・・・」 かなえからそんな言葉が聞こえ、にやりと笑みを浮かべる。 「じゃぁ決まりだな」 そう言って耳元から顔を離すと、どこか魂が抜けたような表情になっているかなえの唇に自分のそれを合わせる。 さっきから考えていた事。 唇に伝わる柔らかい感触に、少しだけ京介の不機嫌度が下がった。 「あー、お二人さん。人前でそう言うのは止めような。しかも学校だし」 「あぁ。悪い」 直哉の言葉に身体を離すと、かなえがその場に座り込んでしまった。 「まぁ、そう言うわけだから。かなえサン?これからよろしく」 屈み込んでかなえの顔を覗き込み、ニヤリと笑みを浮かべる。 ポケットから眼鏡を取り出して掛けると、保健室から出て行った。 少しは、学校生活が楽しくなるかな・・・まぁ、気づけば視線の先に彼女が居たなんて死んでも教えてやらねぇけどな
数日後の夜、仲間たちと飲む京介の姿があった。 「京介ぇ、お前とうとう女子高生を彼女にしたんだって?」 「あー?彼女じゃなくてペット。分かる?」 「まぁた、京介の天邪鬼が出たよ。いいって照れなくって」 「照れてねぇっての」 かなえの前途に幸あれ。 会話を聞きながら、此処には居ないかなえに向かってグラスを持ち上げる直哉であった。 終 |