一人ぼっちの君に、ありすがやってくる




「―――あーあ、俺、なにやってんだか…」
 
近年稀に見る大雪が降った大晦日の晩。
空から舞い落ちる雪を眺めながら、俺は家路を急いでいた。
凍えそうになる体を必死に抑え付けながら、自分の体を抱くと寂しさが募った。
 
「……クリスマスは、…あーそっか。サンタのバイトしてたんだっけ…」
 
クリスマス前に結婚まで考えていた彼女に愛想尽かされて、呆けた顔のままバイトに行ったら喝を入れられながら寒空の中でケーキを売らされ、彼女のなんか作る間もなく年末の忙しくて稼ぎ時期に突入。
クリスマスから大晦日に向けて、俺はめいっぱい働くだけ働いた。
 
 
 
それこそ、心身ともに疲れ果てるほどに。
 
 
 
「どうしてこう俺ってば、貧乏くじばっかり引いちゃうわけ?……悲しい男のサガってやつなのかなぁ…?いや、でもあれはアイツが浮気して出てったわけだし、俺が悪いわけじゃないんだよ、うん」
 
雪が降る極寒の中、寂しさが体を支配したら「独り言」しか出てこなかった。
余計に寂しさが募るっちゅーねん。
 
「……はぁ…」
 
 
 
ほんと、なにしてんだか。
 
 
 
冴えない自分からの同情なんて、もうめいっぱいもらってたはずなのに、それでもその「同情」だけが暖かいので、もう一度同じ言葉を投げかけながら、寒い自分の部屋の鍵を回した。
 
 
 
 
 
 
 
ガチャ。
 
 
 
 
 
 
 
「―――ただいまぁー…」
 
なんつっても、返事が返って来るわけがない。
ほんっと、俺ってばつくづく寂しい男だ――――――
 
 
「おかえりなさいっ!!!!!」
 
 
がっくり頭を項垂れて、盛大なため息を尽いた瞬間だった。
寒くて凍えそうになっていた体を心ごと抱きしめられた気がした。
 
「……え?」
「外は寒かったでしょ?お部屋暖めて待ってたの!いっつもいっつも寒そうな格好してたから、今日だけは暖かくしてもらいたくて!!」
 
俺を抱きしめながらとっても嬉しそうな笑顔で見上げてきたのは、少女。
身長だって俺よりもちっちゃくて、抱きしめたら折れてしまいそうな子だ。でも、元気いっぱいに微笑んでいる彼女を見ていると心に灯が灯る。
 
 
 
たとえ、俺の知らない少女だったとしても、だ。
 
 
 
「……えーっと…」
「あ、…駄目、だった…?」
 
とりあえず、パニックを起こしかけた俺の困った返答に体を一瞬、びくり、と震わせた少女は怒られた犬のようにしゅんとなって俺を見上げていた。
 
「いや、別に怒ってるわけじゃないんだ。…ただ、その、どうして君がここにいるのか、どうやって俺の部屋に入ったのか…―――」
 
 
 
「―――ありす」
 
 
 
「ん?」
「ありす、だよ。浩史くん!」
「え?え?あ、な、名前か…」
「うん。もう今日はそんなこと考えずに、一緒に過ごしましょ」
 
軽く頭を打った衝撃を受けた気がした。
しかし、それを考える間もなく、小さな少女―ありす―が差し伸べた手があまりにも暖かくて、寂しさでいっぱいの俺は嬉しそうな彼女の手を握り返したんだ。
 
「すご…」
 
部屋に入るなりコタツ机の上には、さまざまな料理。
この少女が一人で作ったとは思えないぐらいの量に圧倒されながらも、楽しそうに笑うありすの顔を見て、笑った。
久しぶりに。
 
「…ありがとうな、ありす」
「いいの!ありす、浩史くんが頑張ってるの知ってるから!!」
「そうか。偉い偉い」
「えへへー」
 
俺だってモラルのある人間だ。
近年ロリコン化が進んでいる親父達と一緒にされたくないから言っておくが、こんな子がいたらすぐに警察に突き出してるし、ニュースだって調べる。
でも、今は寂しいから。
寂しく一人で年越しをするのだけは、今の俺には耐えられなかった。
 
 
寂しいから、この小さな少女の「暖かさ」に触れていたかったんだ。
 
 
なんとも、冴えない俺の情けない言い訳。
いやでも、明日の朝に警察に届け出ても…って、警察も正月はあるのか?
 
「浩史くん…?」
「え?あ、ごめん、聞いてなかった…」
「いいの!美味しく食べてもらってるから、それだけで良いんだ!!」
「…ありすは、いい子だな。ありがとう」
「ううん。ありすより、浩史くんの方がいい子だよ」
「…え?」
「介護してたお母さんが亡くなられても、浩史くんはちゃんと一人でお葬式からなにまで頑張ってやってたもん。結婚は間に合わなかったけど、それでも浩史くんはいっぱいいっぱい頑張ってた」
「……いやに情報通だな」
「全部、神様が教えてくれたんだよ」
「神様…?」
「そ、…神様…」
 
にっこり満足そうに微笑んだありすは、次の瞬間何食わぬ顔で料理を小皿に取り始めた。
俺もなにもこれ以上詮索はしないようにした。たとえ俺のことでも、だ。
「神様」が一体なんなのか解らなくても、俺に今目の前にいる「ありす」が天使みたいに見えるわけだし、俺が変なこと言って彼女がどっかに行ってしまったらそれこそ大変だ。
彼女の親御さんにどう説明して良いのか解らない。
 
「…お、んまい」
「ほんと!?」
「ホントホント」
「嬉しい〜〜〜〜っ!!!!!」
 
きゃー、と騒ぎ出したありすを見て、よく嬉しがる女だなと思った。
しかしその騒がしさが心を落ち着かせる。寂しさに震えていた心もまた、温かさを取り戻している。
 
「…あ、カウントダウンだ」
「ホントだ」
「カウントダウン、するか?」
「うん、するする!!!!」
 
花が咲くように笑顔になったありすを見ながら、テレビをつけて、ゆくとしくるとしを見ながら二人でカウントダウン。
 
「5」
「4!」
「3」
「2!!」
「いち!」
 
 
 
 
「ハッピーニュー、イヤーーーーーッ!!!!!」
 
 
 
 
俺はありすを抱え上げ、ありすも「きゃー」と騒ぎながら俺に必死にしがみついた。
しがみつかれた小さな手が愛しくて、最後に強く抱きしめてやった。
 
「……浩史、くん…?」
「ん?」
「…どっか、痛いの…?」
「そんなことないよ」
「じゃぁ、どうして泣いてるの…?」
 
ぺたぺた。
と、涙を拭うように頬に当たる小さな手のひら。
彼女の暖かさが心を芯から暖めた。
彼女がどんな存在でもいい。
こうして俺自身を暖めてくれたのは、今俺の腕の中にいる彼女なんだから。
 
「…浩史くん?」
「ありす…、ありがとう…」
「え、え?そんな、浩史くん泣かないで〜〜〜〜〜っ!!!!」
 
よしよしと頭を必死に撫でるありすの小さな手に、感謝をした。
 
「……あれ?」
「ん?」
「……ありすの手、ばあちゃんの手に似てる……」
「え?」
「……気持ち良いんだな、ありすの手。ありがとう」
 
にっこり微笑んでやって、彼女を降ろした後、ありすは切なくて寂しい表情をしたままにっこりと微笑んだ。
 
「ありす?」
「ん。ごめんね。もう時間なんだ…。私、行かなきゃ…」
「え、もう!?」
「うん。時間なの」
「そりゃ時間だけど、でもこんな遅くに外に出て…」
「それでも行かなきゃいけないの!!」
 
そのとき、ありすの顔を見て俺は悟った。
この子の瞳にたくさん貯めた涙が、「行きたくない」と主張しても「行かなければならない理由」が、ありすには存在するのだと。
まるで俺の部屋に迷い込んできた「不思議の国のアリス」のようだ。
 
俺は無理に引き止めるのやめ、箪笥に向かって歩き出した。
 
「…どれだったかなぁ…?」
「浩史くん…?」
「あー、あったあった」
 
探し出したのは、昔母が編んでくれたマフラーと手袋のセット。
この寒空の中子供用の小さなコートで出るのは無謀すぎる。雪も降ってることだし、暖かくしてもらいたかった。
 
「はい」
「…え?」
 
ぽかんと口を開けてるありすに笑いを浮かべながら、手袋をはめ、マフラーを巻いてやった。
 
「浩史くん?」
「やるよ」
「で、でも…!!」
「一人で年越しすることがなくなった、お礼」
「…だからってこれじゃぁ…」
「良いんだよ。もう二度と会えないんだろう?」
「……気付いてたの…?」
「昔っから、そのテのものは見える奴なんだ、俺」
「浩史くん……」
「いーから。もう時間なんだろ?」
「……ありがと!!!」
「頑張れよな。…って、なにを頑張るのか解らないけど」
「へへ、浩史くんも、素敵な女性に出会えますように!!!!」
「サンキュ。今年の年越し、忘れないから」
「うん!!!!」
 
 
 
またね。
 
 
 
また、もないくせに強がってめっちゃ笑顔で、めっちゃ涙が流しながら「ありす」は出て行った。
残されたのは、机の上にある少し冷めた料理と暖かなコタツ。
それから彼女が残していった心の灯火。
 
「…あったかいな、ばぁちゃん…」
 
心に灯った暖かさを胸に、俺はとりあえず正月恒例「お笑い大バトル」を見るべくチャンネルを変えた。
 
 
 
昔から霊感とやらが強かったのは、祖母のせいだという。
周りからは隔世遺伝ってヤツで備わった俺の能力らしいけど。
…まぁ、こういう暖かな年越しを迎えるなら全然良い。
むしろ、カモンベイベー、だ。
あの子はきっと座敷わらしだったんだろう。小さな子供が幸せを運んできてくれる妖怪。
いやしかし、「ありす」って名前がまた可愛らしいというかなんちゅーか…。
自然と笑いが浮かび上がってきてしまう。
 
あれから一年。
 
幸せでもなく、いつもと似たような日常が待ってはいたが、なんとも楽しい一年だったと思う。12月31日になる度に「ありす」のことを思い浮かべてはにやける。
 
 
 
「ふ」
「…なーににやけてんだよ。気持ち悪ぃ」
 
隣でバイトしてた友人に、気持ち悪がられた。
いーんだよ。俺は夢を大切にする奴なんだ。
と、心で毒づきながら「ごめん」と笑って済まそうとする。
 
「…あーあ、あの子なにやってんだか…」
「え?」
「ほら。雪で滑って荷物ドバー…。しかも、誰も助けてあげないって、おい!浩史!?」
 
一目散に駆けた場所は―――転んだ彼女の元。
恥かしそうに俯きながら、ずれた眼鏡を直す事もせずに必死になって荷物を掻き集めていた。
俺は、足元に転がった小さな手袋を手にした。
久しぶりに触った感触に笑みが零れる。
 
「あ、あの、ありがとうございましたっ」
 
ずれた眼鏡の奥からは澄んだ瞳。
サイドを綺麗にカットした黒髪が揺れて、小ぶりの唇がほんのり濡れていた。
 
「いえいえ」
「あの、なにか…?」
 
にんまり笑われたまま見つめられたら、そりゃ解らないだろうな。
 
「ん、荷物拾うの手伝うからさ。名前教えてよ」
「…え、あの…」
「既に拾ってたり」
 
ちょっと強引だったかな?
と思いつつ、残りの荷物を彼女に手渡した後、彼女が堪えるように笑った。
 
「あれ。なんかおかしかった?」
「いいえ。東京にもこういう優しい人がいるんだな、って思ったら嬉しくて…」
「そりゃ光栄。で?名前は?」
 
 
 
「楠木ありすです」
 
 
 
鐘が鳴ったね。
うん。俺の為の鐘が。
嬉しさに心が打ちひしがれた俺は、唐突にこう言っていた。
 
「―――ありすちゃん、俺のとこに嫁にこない?」
 
にっこり笑って、「ありす」に渡したものと同じ俺のマフラーと手袋をしてる目の前にありすに向かって、そう言った。
 
「はい?」
 
目をまんまるにさせて、驚いた彼女を立たせて、とりあえず自己紹介からいきましょうか。
二年目の大晦日、俺は二人目の「ありす」と年越しをするとは思わなかったな。
 
 
 
「手始めに、俺のこと浩史くんって呼んでよ」